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2008年3月13日 (木)

こんなこともありました

そのとき私は小2でした。

麻疹にかかり、学校を休んで家で寝かされておりました。

真昼に警戒警報のサイレンが鳴り、

やがて空襲警報に変わりました。

戦争中だったのです。

「壕に入ろうか」

母が私に言いました。

壕とは空襲から身を守る防空壕、裏庭に掘った穴のことです。

弟は祖母に連れられて入りに行ったようでした。

「入らない。母ちゃん、行って!」

私は熱も高く、ただでさえ気分が悪いのに(-_-;)

身体を横たえることも出来ない穴には、入りたくなかったのです。

「行って、行って、早う行って!」

私はしつこく言いました。言い出したら聞かない子どもでした。

母は黙って私の傍を離れて行きました。

私はほっと安心したのです。

自分は爆弾で死んでもいいと思っていましたが、

母を巻き添えには出来ませんでした。

外はおそらく晴れていたでしょう。

静かでした。

B29の爆音など、全然聞こえませんでした。

このままひとり死ぬのかなあ、と思いましたが、

決して怖くはなかったです。

            

先日、実家に母を訪ねた時、この話を始めたのは母でした。

「あんたが防空壕に入らないというから、

ここで死んでもいいと、二人で家の中にいたなあ」

母は穏やかな笑顔で言いました。

私は黙ってうつむきました。

初めて知ったのです。(*_*)

母は防空壕には行かなかったのでした。

私から見えないところに、じっと隠れていたのでしょう。

今、この記事を書きながら、当時の母の年を数えました。

何とこのときの母は、まだ30歳だったのです

           

今月2日の日曜日は、孫のかりんが熱を出し、

月、火と学校を休みました。

9日の日曜日には、ねーさん孫が熱を出して、

月、火と期末テストのため無理に登校し、昨日ついに欠席しました。

ねーさんが目ざした皆出席の望みは潰えました。

今日と明日は県立高入試、採点のため休校です。

かなり重症の胃腸風邪、細い身体がますます細りました。

いろいろありますね。

このばあちゃん母ちゃん、*_*; 少しくたびれていますが、

ぎっくり腰を起こさぬよう、ゆっくりゆっくりやっております。

本日も終りまでお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

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コメント

隠れてウッシーさんを見守っていてくださったお母さん、愛情いっぱいです、でも辛い厳しい戦時下なのですね。
子供が病気でお医者さんへ連れて行かなくちゃならなくて大変!
なんて思ったことがありますが、なんて幸せだったのでしょう。
ウッシーさんの文章で考えました。

貴重な体験を話してくださってありがとうございます。
私の父は戦争に行った人間です。
生前、その体験をよく話していました。

幼い頃はまた戦争の話かぁ~と思っていましたが
今になって思えば、少しずつ後世に語り継いでいかなければ
いけないのではないかと思います。


ねーさんも疲れが出たのかな?
皆勤賞を狙っていたのですね^^
なんだかねーさんのまじめさが伝わってきます。
今日と明日で元気を取り戻してね

私が30歳のころ何をしていたでしょうか?
毎日、飲んだくれていたかなぁ。
 
父も、亡くなった母もウッシーさんと同年代。
今だから、今こそ昔の話をしなくてはいけないですねぇ。
 
亡くなった母はよく、小さい弟の手を引いて「闇米」を背負っていた、と話してくれました。大変だったね、といえば、小さい子を連れていると「お情け」があったんだと言っておりました。
子供の頃は、なんてずるい!って思っておりましたが、それは「生きる」ため。
 
毎日、「生死」を気にしないで生きて行ける事は幸せなことです。
 
ねーさんが早く良くなりますように。

皆勤賞、残念でしたね。
私の娘小6も、ず~と無欠席でした。が、12月に学校で腸炎がはやり、ついに1日休んでしまいました。
以前も調子の悪いときがありましたが、絶対休むものかと2時間だけ授業に出たりして頑張っていたのですが、あと少しで冬休みと言うときに、休んでしまい、かなり悔しそうでした。
ねーさん孫さんも、早く元気になるといいですね。

戦争の体験のある方々とお付き合いをさせていただく仕事に、10年ほどついていました。戦地にいかれた方、それを見送った方、親しい人を亡くされた方、たくさんの方々のお話を聞きました。
生きることに不安をもたなくていい時代。そのありがたさを、ともすれば忘れてしまいます。この穏やかな中で子供を育てられる幸せを、今一度肝に命じました。
貴重なお話を伺いましたことに、お礼申し上げます。

ウッシーさま初めまして

gardenview3nightsさんの所でウッシーさん(いきなりさん呼びでゴメンなさい)を紹介して頂き 毎日少しずつ過去の記事を感動しながら拝読させて頂いておりました。
深い愛情を注ぎながら綴られた お孫さんとの日々の出来事を読み進めて行く中 ただただ孫が可愛く美味しい所取りで接する自分は・・・と反省有り学ばさせて頂く所有りのブログに 日々楽しませて頂いて居ります。

そして数々のあたたかな手作り作品にも 気持を動かされながら 先日のお孫さんが風邪でお辛い時のお雛様の画像を見たとたん 胸がいっぱいに成りました(何故かお二人のお母様が 静かに成長を見守って居るかのように私には思えました・・・)

ウッシーさんの御身体を思いますと さぞ大変な事と察します。
ウッシーさんのお母様から受け継いだ 愛情溢れるお人柄がそのまま 大切なお孫さんへと 向けられて居るのですね・・・。

少し疲れ気味の自分 落ち込みがちな自分が居る時 ウッシーさんの所に来ると とてもホッコリとした気持に成ります・・・時々寄らせて下さいね。

PC音痴なキツネでして・・・ブログを管理するなんて「夢の夢」です 笑
その様な面でも 尊敬です!
初コメですのに長々と失礼致しました これからも宜しく御願い致します。


ウッシーさん、家で読んでたら泣いてたでしょう(T_T)
お母さんの愛情、ほんとに感動しました。
陰ながら見守る姿、偉大ですね。
それも、お互いの記憶に残っていて、それがちゃんとつながったことが、私にもうれしいです。
お姉ちゃん、がんばっていたのに残念でしたね。
でも、早く回復するといいですね。
季節の変わり目に風邪を引くと、カラダの悪いものが出て行くそうで、いいらしいですが。。。

巡庭にわめぐり様、母は真っ直ぐで、わりとクールな人なので、
私の言うとおりにしてくれたと思い込んでいました。
でも、違ってたのですねえ。母は強しですねえ。
私にそんな強さがあるかしら?と反省しました。

でも異常な時代でしたね。再び来てほしくない・・・

はな様、
戦争の話をふくめ、昔の話は聞いてあげて下さいね。
何かを伝えたいと願っているのだと思います。

ねーさん、今日は大分よくなってきました。
ゆっくり休んで元気になってほしいです。
どうもありがとうございました。

BUNちゃん様、あの時代は大変だったのですね。
大人もこどもも辛かったのですね。
死ぬ覚悟なんて・・・

平和、大切にしたいですね。
ねーさんを元気にさせますわ。

ふみえ様、お宅様も惜しかったですねえ。
でも病気には勝てませんね。
本人が一番口惜しい思いをしているでしょうね。
お昼は玉子粥を全部食べました。
薬も効いて来たようです。

摩依夢さま、
尊いお仕事についていらっしゃったのですね。
きっとお力を尽くして接しておられたことでしょう。
この年で、孫とともに過ごすのも
私に与えられた天命?かもしれません。
できるだけのことをし、
昔のことも伝えて行けたらと思うようになりました。

キタキツネ様、はじめまして。
ブログご訪問、そしてコメントありがとうございます。
ご縁の不思議さ、gardenview様には
本当にお世話になっております。
キタキツネさんのお名前はお聞きしておりました。
おっしゃって頂くような、立派な者でもありませんが
こちらこそ、どうかよろしくお願い致します。
昔の話など書いてもだめかな?と思いましたが、
例えお一人でもお読み下さったらと記事にしました。
多くの方々からコメントを頂戴しまして
うれしく有難く思います。
本日はまことにありがとうございました。

ゆかにゃご様、こんにちは。
母も憶えていたのですね。
↑にも書きましたが、母は真っ直ぐな正直すぎるほどの人、
てっきり裏庭に出て行ってくれたと安心していました。
私は熱が出るとうわごとを言ったりする
かんしゃく持ちでした。
母はやはり大人でしたねえ。(笑)
僅か7歳くらいで「死」の覚悟なんて
嫌な時代だったですね。(-_-;)

ねーさんに「悪いものが出て行く」ことを伝えました。
まだしょげていますが、
そのうちにもとの理屈こきに戻ることでしょう。

空襲警報、怖かったでしょうね。
「防空壕に入らない」お母様はもしウッシーさんに
もしものことがあったら自分も、と防空壕に入らないで
覚悟しておられたのでしょう。
まだわずか30歳ですのに、良いお母様ですね。
胸がつまる思いです。初めてお聞きになったのですね。
二度と戦争は嫌ですね。

お姉ちゃん、頑張ってたのに皆出席が残念でしたね。
早く良くなると良いですね。
ウッシーさんもお身体無理をなさらないようにして
くださいね。

かおりんさん、こんにちは。
こちらにまでありがとうございます。
かおりんさんのお母様も空襲の時は大変でしたね。
あの時代の親は想像を絶する苦しみを味わったのですね。
再びあのような時代が来ないようにしたいですね。

ねーさん孫はそろそろ起き出して来ました。
若いから治りも早いと思います。
かおりんさんも、お母様もお気をつけ下さいね。

ウッシーさんも戦争体験者ですね。
私が15歳の時の事。チチは動員で北海道の炭鉱に行かされ。長女の私が臨月近くの母と弟二人と東京に居ました。海軍記念日に近くの小学校に、焼夷弾が落ちて、燃え上がった炎の色は、今でも覚えています。

谷間のゆり様、
お早うございます。
谷間のゆりさんは、多感なお年頃でいらしたのですね。
いろいろと体験なさったことでしょう。
私は小さかったですが、それでもあの頃のことや
戦後の暮らしは忘れられません。
孫に伝える気持ちで書きました。
お忙しい中ありがとうございました。

戦争の話は重みがあります
私など戦後生まれにとっては
戦争を体験された方からお聞きするしかないです
小さい頃、父母がよく戦争の話をしてくれていました
13年前父が亡くなるときの最後の言葉
「いけん、いけん(ダメ、ダメって言うことです)」
母が「何がいけんの?」
と聞くと
父は「戦争」
といって、それっきり、意識がなくなり、父とは話が出来なくなりました
なくなる間際まで、戦争が父を苦しめていたのかなと思いました

お孫ちゃん、皆勤賞、残念でした
でも、調子の悪いときは仕方ないですね
早く治られますように

おーちゃん様、こんにちは。
「いけん」と言う言葉は聞きました。
おじいちゃんが、出身なので・・・
心に沁みるコメント頂きありがとうございます。
遠い日のできごとです。
でも、忘れません。

ねーさん孫、やっと普通のものが食べられるようになりました。
賞よりも健康ですものね。
いつもありがとうございます。

ウッシーさま、こんにちは!

丁度先日「東京大空襲」について取り上げられていました。
史実を検証したくても、時代を経て出来なくなっているとのこと。

是非是非沢山「こんなこともありました・戦争編」として語っていただきたいと思います。

お菓子を生まれてこのかた一度も食べたことのない子供が今も世界の中には沢山存在する!・・・このことを私に話してくれた女性はインド人だったのですが、本当にスプーン一さじの小麦粉も大切にする良き家庭人でした。素朴なホームメイドの料理を几帳面に作る働き者でした。(キッチリ正三角形のサモサなど)当時日本はバブルの絶頂、本当にギャップを感じました。

戦争中の食べ物のこと、衣服のこと、どんな工夫で暮らしたかなど是非シリーズで教えてくださいね。お願いいたします。

gardenview(大矢)様、ありがとうございます。
こういう記事は敬遠されるのを覚悟で書いたのですが、
お若い方々が、しっかりと受け止めて下さいまして
本当にほっと安心致しました。
手作りの記事の間にこのようなことも
書かせて頂くことがあるかもしれません。
どうかよろしくお願い致します。

お母さまといいウッシーさんといい、 母親そして祖母の鑑です!

そういうお母さまの育てられたからこそお孫さんに対してもそれだけの愛情と努力を注げるんですね・・

ウッシーさんのご苦労を見ておられるお二人のお孫さんもやがていつかお母さんになってウッシーさんの様な献身的なお母さんにおなりになりますよ、 きっと。
他人事の様にこんな月並みな言い方しか出来ない私ですが、 ウッシーさん、 とっても大変だと思います。 思春期のお孫さんたち、 身の回りの世話だけでなく精神的にもさぞシンドイと思うんですよ。
私も晩婚で高年齢出産でしたのでまだ子供達、 大学生と大学院生です。 この子達が高校生の頃は一緒に悩む事も多かったんですよ。 だから・・・少しは理解できるような気がするんです。

ウッシーさん、 もう少しの辛抱ですよ。
もう直ぐ助けて下さるようになってウッシーさんに楽をさせて下さるようになりますから~ ♪

亡き父は戦争と共に青春時代を過ごし、実際に海軍兵として戦地にも赴いておりました。
「お父ちゃんのお腹の中には鉄砲の弾が入っているんだよ」
幼い子供の頃、よく父はそう言ってわき腹の古傷を見せたものです。
何十年も経て父が病についた際、レントゲン写真にしっかりと銃弾が写り、父の話は本当だったんだと思い知りました。
火葬で骨を拾う時、私は弾が見たくて捜しましたがありませんでした。
きっと高熱で焼かれて溶けてしまったのでしょう。
その時、父もやっと戦争の傷から解放されたのか・・と思いました。
そんな時代の体験者は、これから少なくなっていくでしょう。
しかし、残された世代に平和が幸せな事なんだと、折に触れ語ってもらえればと願っております。

モナカ様、コメントありがとうございました。
お返事が遅くなりましたこと、お詫びいたします。
子育ては本当にしんどいと思うときがありますね。
母の時代はもっと大変だったと思います。
平和のありがたさを忘れずお互いに頑張って参りましょうね。
いつもご遠方から嬉しいお言葉有難うございます。

ミセスT様、お早うございます。
お返事がたいへん遅れましてお詫びいたします。
こころに深く沁みるお話、まことに有難うございます。
私の父は終戦から2年もたってから帰ってきました。
そして暫くは病気で働けませんでした。
でもまたもとの身体に戻ってくれまして、
定年後も仕事をしていましたが、夜道で転び
脊椎を損傷し10年ばかり不自由な日々を送り
亡くなりました。
過酷な戦争時代を生きのびて、平和の時代に長く病床につき
ついに社会復帰は果たせませんでした。
人の一生は厳しいものですね。

ウッシーさんと同年代のようですね。
小3で終戦、防空壕へ1度入った記憶があります。
疎開をしたので空襲の恐ろしさは経験しませんでした。戦争は嫌ですね。
お孫さんの為にも無理をしないで下さいね。

sawa様、こんにちは。
そうでしたか、同じ年頃でしたか・・・
わが家も無事でしたが戦後もいろいろ不自由でした。
またお話聞かせてください。

sawaさんもお体気をつけて下さいね。
今日もコメントありがとうございました。

こんばんは。
ねーさんの体調はいかがですか?
胃腸の風邪はとても辛かったでしょうね。

戦争のお話、身近な方から貴重なお話を聞けてとても
ありがたいです。

父は終戦数日前、母は何年か後に生まれ、両親から戦争の話を
聞いた事はなく、祖父母からも一度も聞いた事がありませんでした。

戦後の暮らしも大変だったと思います。
父方の祖母は幼い子供(父とその兄)をかかえて離婚して
苦労も多かったと思いますが、そういう話も聞かずに亡くなりました。

年に1回ほどしか会わない孫に話すきっかけもなかったのかも知れません。

今の自分がいかに贅沢に楽に過ごしているかがわかります。

今度祖父母にあったら、当時の事を教えてもらおうと思います。
また作文みたいなコメントですみません

tomo様、
いつも温かいお心こもるコメントありがとうございます。
こういう話はどうかな?と思ったのですが
みなさんに真っ直ぐに受け止めて頂けて嬉しかったです。
お祖父母さまから、お話をお聞きになって下さいね。

ねーさん孫はやっと普通の物が食べられるようになり
私もほっとしました。
痩せましたので、元に戻るように気をつけますね。

先日、この記事を読んで涙が出ました。
コメントしたいと思いつつ、時間がなくて・・・。

お母様がそばにいらしたことがウッシーさんにわかって、よかったと思いました。
いくら戦争があろうと病気のつらさが勝っている娘のことを思ってそこにいることを選ばれたのですね・・・。

「戦争」と一言で言っても、知らない世代には漠然としていることがあります。
「自分だったら・・・」と考えさせられる一コマを聞くと、初めて現実的に感じられることがあります。

私も祖父母の語ることを時々書きたいと改めて思いました。
ウッシーさんもしんどくない程度にまた教えてください。

3うさの母様、こんばんは。
私はあの時、病気の自分の我儘を知っていました。
だから母には防空壕に入ってもらいたかったのでした。
でも、親はそういうわけには行かなかったのですね。
母は辛かったと思います。
まだ30歳の若さで・・・
異常な時代でしたね。
今の平和を大切にしたいですね。

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