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2008年8月18日 (月)

語りつぐ…

P1050842_2 夏休みも残り少なくなり、

小5のかりんも、

宿題をまとめ始めています。

夏休み帳の「聞く」というページのために、

お祖父ちゃんの話を聞いたのですが、

聞き書きではなく、お祖父ちゃんの書いてくれたものを、

そのままページに貼り付けることにしました。

この話は、数年前にも、ねーさんのために書いてくれたのですが、

その頃のワープロは、もう壊れてしまって再生不可能です。

今年は新たにパソコンで書いてくれたのでした。

孫の世代に語りつぐ、お祖父ちゃんの思い出話です。

      P1050838_2                

あの頃の思い出

 お祖父ちゃんは、夏が来ると、あの頃のことを思い出します。お祖父ちゃんは、広島県の東北部の出身です。
 広島市に原子爆弾が投下されたのは、1945年の8月6日でした。お祖父ちゃんの村は爆心地から離れていたので、被害は受けなかったのですが、村の小学校が、広島市で被爆した兵隊さん達の、臨時の病院になったのです。
 被爆した100人ばかりの兵隊さん達が、近くの駅に着いたのは、8月8日の午後3時頃でした。村の人達は駅から学校まで、その兵隊さん達を荷車に乗せて行ったのでした。
 その頃、村の男の人はほとんど戦争に駆り出されていたので、女の人や当時中学生だったお祖父ちゃんたちも動員されたのでした。
 被爆した人たちを乗せた荷車の移動が始まったのは、夕方の5時頃でした。着ていた服は爆風でぼろぼろに破れ、血まみれで、傷口は化膿して、ものすごい匂いでした。
 自分で歩ける人は歩き、荷車に乗せられたのは瀕死の重傷を負った人たちでした。軍刀を杖にして歩きながら大声で叫ぶ人、爆風で顎を飛ばされた看護師さんも歩いて行きました。
 辺りは次第に薄暗くなりはじめ、遠くで光る稲妻が、艦砲射撃のように思われ、まるでこの世の地獄、死の行進でありました。その当時、お祖父ちゃんは中2でしたが、63年経った今でも、その時の悲惨な光景を、はっきりと思い出します。
 大半の方が次々に亡くなり、毎日5~6体ずつが火葬にされました。まもなく敗戦となりましたが、故郷へ帰ることができたのは、ごく僅かな人だけでした。





             P1050841_2


追記(ウッシー)

この日、動員された女の人の中には

お祖父ちゃんのお母さん、

かりんたちの曾お祖母ちゃんもいました。

曾お祖母ちゃんは、婦人会の一員として看護の手伝いもしました。

そして2次放射能を浴びたのでした。

67歳で急死した曾お祖母ちゃんは、

被爆者手帳も持っていたそうです。

晩年は、かなり体がきつかったようで、

「今、お布団を干したところです」と、ある日私が電話した時も

「私は布団はよう干さんのじゃ、胸がドッドと苦しゅうなってきて…」

と言っていました。

亡くなって、火葬場でお骨をあげるとき、世話して下さった人が、

「この方は、原爆で亡くなった人と同じような、もろいお骨です」

と、説明してくれたのを、私は忘れることができません。

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コメント

かりんちゃん、ご主人さま、
そしてウッシーさんのお陰で、
戦争がこんなに悲惨であることを改めて思いました。

二度と繰り返してはならない戦争。
これまで話しや映画やドラマなどで、
そのときの様子を何度も聞いたり見たりしました。

語り継ぎ、
愚かな戦争を二度と起こさないようにしなければ。
そう思います。

多くの犠牲になられた方々のためにも。

shizuoさん、お早うございます。
早々とお書き込み下さいましてありがとうございます。
孫たちには事実だけを、淡々と書くのが良いと思いました。

つれあいの故郷は静かな山村でしたが、このような夏があったのですね。

どうしてですかね?
戦争は悲しみしか生まないのに、
そんな事、みんな知っているはずなのに、
同じ過ちを人間は繰り返します。
 
淡々とした文章だから、伝わるお爺さんの思い出。
私にも届きました。

いい記事を読ませていただきました。
ご主人の文章には、当時のありさまがにじみ出ていて、胸が詰まります。
悲惨な時代、忘れてはいけない事柄でした。 ー合掌ー

おはよーです。
今平和の祭典「オリンピック」が開催されてるのに、ある国は愚かな戦争をしてる。
戦いは、さわやかなスポーツだけにして欲しいなぁー。
 
戦争を知らない私達・・とても大切なことを忘れがちになってる現状を反省しなければいけませんよね。
語れつぐ・・とてもとても大事なこと・・ご主人の文章で改めて感じ入りました。

沢山のいたましい思いをしながら、人類は同じことを
繰り返します。
かりんちゃんもいい夏休みになりましたね。
これが2学期の教室で発表されることを祈ります。

母も広島出身なので
子供のころよく原爆の話を聞いて育ちました
その母も直接ではありませんが被爆していて
手帳をいただいています
いろんな病気を抱えそれでも長生きしてくれて
でも、病気がなくて長生きができたらもっといいだろうなあと思います
戦争は不幸だけが生み出されるものですよね

ご無沙汰しています
今日の記事「語りつぐ」しみじみと読ませていただきました。
そして、あらためて戦争の「憎さ」噛みしめているところです
思い出すのさえ辛い「戦争体験」だと思いますが子供たちに「語りつぐ」勇気は貴重です。
有難うございました。

壱番館のBUNちゃんさん、
読んで下さってありがとうございます。
暗い記事なのに感謝いたします。
今の平和を大切にいたしましょうね。
オーちゃん、お元気ですか?

ひよどりさん、こんにちは。
お読み頂きありがとうございます。
今日一日の無事に感謝して暮らしたいです。
お身体、お大切にとお願いいたします。

ビオラさん、こんにちは。
今日は暑さがよっぽど楽です。
扇風機だけで十分です。
平凡に暮らせることのありがたさを思っています。

oss102さん、こんにちは。
村人の中には被爆後の街を見物に行き、
原爆症になって亡くなった人もいたそうです。
言うべき言葉もありません。

おーちゃんさん、こんにちは。
お母さまも大変ですね。
少しでもお体がよくなられ、
長生きしていただきたいです。

金太郎さん、こんにちは。
お読み下さったのですね。
ありがとうございました。
この平和を大切にしたいですね。
人のいのち、美しい花や蝶、守りたいです。

ご主人は、広島のご出身だったのですか?
私は、広島市内で生まれ育ちましたので(今は郊外に住んでいます)小、中学校では平和教育がありました。
私の出た中学校もその当時、被爆した方たちが集まったのだそうです。
身近にも被爆された方がいらっしゃいます。
しかし、このようなお話をしてくださる方も、高齢になり、なかなか語り継ぐのも難しくなりつつあります。
子供たち、若い人たちに、まずは知って貰う事から始めないといけないですね。

ウッシーさま、こんにちはcloud

事実は本当に重いですね、淡々としている分、ズシン!と訴える力強さ…。沖縄のひめゆりも、広島のドームもボランティアの方が「かたりべ」として活動されているようですが、高齢化とともに難しくなってきているそうです。

アメリカの教育はきっぱりしています。人種のるつぼですから、こと、戦争に関する史歴についてはアメリカ視点で行います・・・ご承知置きくださいとアナウンスがあります。

いつも向田邦子さんのエッセイを思い出します。妹さんの疎開の話や邦子さんの成長過程で「暮らしむきには色々ある」と知った一瞬のエピソードなど。きっとウッシーさまも読まれていると思うのですが、貧しい親子のお礼の品が新聞紙にくるんだゆで卵だった…というエッセイ!!
今の時代の退廃は今の子供達に責任はなく、大人の責任なんですが、自分を含め「我慢のできない大人が増えている」って思う日々です。

中学2年といえば14歳、15歳の時の衝撃の体験ですね。
命って?とか、生きているって??と、考えないではいられなかったでしょうね。ご紹介ありがとうございました。

こんにちは♪
わが家のお墓は広島にあり、年に一度お墓参りのため広島へ行きます。爆心地・材木町にあったお寺で、現在は郊外に移転していますが、檀家さんは被爆された方が多く、お話を聞くたびに胸が痛みます。
南洋・パラオから引き上げてきた義母からも悲惨な戦争体験を聞いています。

高校生になった息子はようやく原爆や戦争について考えてくれるようになりました。高校の修学旅行はみんな広島・沖縄に行ったらいいのに…とつぶやいています。(息子は京都・奈良、娘は沖縄です)

一人でも多くの方々に語りつがれるよう願ってます。

でろんでろんさん、こんばんは。
広島にお住まいなのですね。
広島と言えば、原爆を即座に思いますが、
語り伝える人も次第に少なくなるのですね。
こういうことがあったという話を伝えたいですね。
原爆だけでなく戦争にまつわるその他の事に関しても。

お読み下さいまして、コメントも頂きありがとうございました。

ウッシーさん、こんばんは。
貴重なお話をうかがうことが出来て、胸がいっぱいになりました。
わたしの亡父はフィリピンのルソン島の戦線に出ていました。
軍人の妻は泣いてはならない、という時代でしたが、出征する父を見送るとき、これでもかというほど涙があふれたそうです。
誰にとっても辛い時代でしたよね。
戦いは何一つ生み出さないのに、今も世界のどこかで繰り返されます。
中国は日本をチベット化しようと狙っているらしいし。
もっとちゃんと知って、賢くならないといけませんね。
この美しい世界が、いつまでも無くなりませんように。

gardenview(大矢)様、こんばんは。
主観をなるべく交えないで書くのは難しいと思います。
つれあいは、普段あまり過去を話しませんが、
宿題と言うことで、書いてくれました。
中学は旧制でしたから、きっと軍事訓練もあったと思います。
ゲートルを巻いて通学したと聞きました。
ああ、ゲートルなんて、今の人にはわからないのではないのでしょうか?


向田邦子のエッセイの「字のない葉書」だけは見つけて、今、手元にあります。「眠る盃」の中にありますね。
学童疎開の切なさが、この時期ですから尚更に胸に迫りますね。

ち~さん、こんばんは。
広島にお墓がおありですか。
周辺の山村にも、このような悲劇は押し寄せたのですね。
つれあいは多感な年齢の時に、時代の激動に出会ったのですね。
修学旅行もなかったし、ろくに勉強をする暇も無かったと思いますよ。
出征兵士の留守家族を手伝うために、田畑の仕事に動員もされたらしいです。
終戦の年の秋には大きな台風がきて鉄橋が崩れてしまい、毎日徒歩で通学したとも聞きました。

家の上の孫はこの秋には沖縄に修学旅行に出かけます。多くを学んで来てほしいと思います。

ねじっこさん、こんばんは。
今の世も、紛争の種は絶えませんね。
皆が賢くならなければいけないと私も思います。
ただ、戦争反対を叫ぶだけでは駄目ですね。
いつも考えるヒントをありがとうございます。

こんばんは。
はじめまして。
隠れファンでしたので、コメントは初めてです。

息子が小学5年生の時、突然「原爆ってどのくらい凄かったの?」と質問してきたのです。
ちょうど、GWに入る時でしたので、この機会をのがしてはならないと決心して、すぐ広島行きを決めました。
特急電車と新幹線を乗り継いで、行くだけで1日がかりでしたが、原爆資料館を始め、平和公園など息子と二人で歩いたことを思い出します。
原爆資料館の中で、息子は私の手をじっと握って放しませんでしたし、平和公園ではいつまでも手を合わせてお祈りしておりました。
私は戦争を知りませんが、そして普段はいいかげんな親でしたが、そのことだけは、親として今でもいい決断だったと思っています。

先日「トランクの中の日本」という写真集を読みました。
あらためて、平和であることの幸せを思います。

いつも心温まる文章に触れて、感謝しています。
まだまだ暑い日が続くと思いますがご自愛ください・・・・。


ウッシーさんコンバンワ 

今日は貴重なお話を有り難う御座いました。
何時も思いますのは、人は何故戦いを続けるのでしょう?
毎年終戦記念日が近づくと、惨い戦争の映像が流れますね・・・決して目をそむけては成らない、次世代へのメッセージのように思いますが、
目も耳も傾けようとしない、人も多く居られますね。

亡き叔父がシベリア抑留経験者でしたが、硬く口を閉ざして余り話そうとしませんでした、自分が大人になって少しだけ聞いた事が有りましたが、それはそれは想像を絶する体験をして来たようです。

どれほどの方々が被爆の後遺症で、苦しんで居られるかを日本はもっともっと世界に向けて発信して行かなければ、核は無くなりませんよね。
戦争を知らない私達世代の子供達が、惨い戦争を繰り返さない為にも 少しでも多くこの様な現実が有った事を、伝えて頂きたいと願います。

今日は貴重なお話を有り難う御座いました。

ウッシーさん、初めまして。Cocoと申します。
いつも拝見させて戴いて暖かい気持ちになっております。
これまで拝見させて戴くだけに留めておりましたが、
今日は思い切ってコメントさせて頂きました。

私自身も生まれてまもなく父を亡くし、その後は母と母方の祖父、祖母と
暮らしていました。
小さい頃に戦争の体験談をいつも聞かされていたので、今は亡き祖父と、
離れて暮らしている90を越えた今でも元気にしている祖母を思い出しています。
かりんちゃん、素晴らしい夏休みの宿題になりましたね。

そして現在、なんの因果か、母親を亡くした2人の男の子と、週末だけ
彼と前の彼女の間に生まれた男の子を我が家で預かっています。
私の場合、子供達とは血も繋がっていなければ、国も違うのですが、時々自分の
本当の子供のような気さえしながら、どうにかこうにか楽しく暮らしています。
そして、ウッシーさんのブログを読んでいつも元気を貰っています。
どうもありがとうございます。

初めてのコメントで長々と書いてしまって失礼致しました。
これからも、お邪魔させてくださいね。

ウッシーさんのだんな様は広島出身だったのですね。。。
二次放射能で被災されるとは、何ともつらく悲しいです。
祖父がフィリピンで戦死したので、祖母は15日には必ずNHKを見て、靖国神社で行なわれる慰霊祭にも何度か足を運んでいました。
最近良く両親も戦時中の昔話をします。
そういう話がとても興味深く、辛い時代を生き抜いた両親やウッシーさん世代を尊敬せずにはいられません。

flagおはようさんです。
戦争体験の中でも原爆の被害や2次放射線の被害にあわれた方の惨事は忘れられない、語りきれないほどの出来事とお察しいたします。
今の平和な日本は戦争で亡くなられた数え切れない方の「灰」の上にあることを忘れないようにってこの日がくると思います。合掌

sophiamamaさん、はじめまして。
お読み下さいまして、コメントお書き込みありがとうございます。
広島の資料館にも、息子さんをお連れになって行かれたのですね。
私は49年前に行ったきりですが、深く心に残っています。
戦争の傷跡は庶民の中に今も残っていますね。
たとえ解かってもらえなくても、話すべきことだと思います。

ブログにお邪魔しました。ネコちゃんいっぱい…
またゆっくり見せて下さいね。

キタキツネさん、お早うございます。
連日、コメントありがとうございます。
何が何だか解からないまま、多くの命が失われたのですね。
そして、悲劇が悲劇を生んで行ったのですね。
核禁止の重要さを強く思います。

Cocoさん、はじめまして。
ご訪問、コメントありがとうございます。
海を越えてのコメントに感動しています。
祖父母様の下でお育ちになられたのですね。
言いようの無い親しみが、私の胸に広がりました。
今はまた、子育て・・・苦労とともに喜びも少なくないと存じます。
私も時にはため息をつきながらも、また頑張る暮らしです。
ブログにもお邪魔しました。
これからも、よろしくお願い致します。

ゆかにゃごさん、
お祖父さまは戦死なさったのですか!
ご家族の深い悲しみを思います。
ゆかにゃごさんは、いつも私どものように年をとったものを
大切に思って下さることに、感謝しております。
温かいご家族の中で過ごされたからこそのことでありましょう。
昔の話を聞くのを嫌がる若い人も多いです。
年よりはたいていのことは胸のうちに収めてしまうのです。
でも、言うべきことは勇気をもって言いたいですね。

じのさん、お早うございます。
静かな山村も、戦争の悲劇からは逃れられなかったのですね。
2次被爆など、誰も予想もしなかったことでしょうね。

63年たっても、「戦後」という感覚はなくなりません。
でも戦争を知らない方々にはどうなのでしょう。
子ども時代に、誰もが1度は戦争について学ぶ機会があるといいですね。

こんにちは♪
一日経って、あらためてウッシーさんにお礼を言いたくて…2度目のコメントですcoldsweats01

「語り継ぐ」ってことは難しいことではなく、こうして身近なことを紹介してくださるだけで、多くの人々の心に残ることを実感しました。
ありがとうございましたheart

ち~さん、こんばんは。
また来て下さったのですね。
真剣に考えて下さって感謝します。
こちらこそありがとうございます。

こんばんは。

戦争も原爆も経験の無い時代に生まれ育ちました。

祖母が二人の息子を戦争で無くし、お仏壇のりんの音が悲しくてしょうがないから、私が死んでもりんを鳴らさないでおくれねと言いました。

私は祖母の死後、一度も実家の仏壇でりんを鳴らしたことがありません。

ウッシーさん、こんにちは。度々お邪魔します。
ご丁寧なコメントをどうもありがとうございました。
実は私も「言いようの無い親しみ」を感じていたので、
同じように感じて下さったなんて感激です!
更に、私の拙いブログを見て下さってありがとうございました。
幸い私も手作りが大好きなので、良い気分転換と楽しみになっています。
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願い致します。

さな・花の庵さん、お早うございます。
ブログ訪問を怠っていました。
ご多忙の中で、素晴らしい花の写真!
いつも見惚れています。

仏壇のりんの音色のさびしさ、悲しさが伝わってきました。
そして、さなさんの優しさもまた、伝わって来ます。
心にしみるコメント、ありがとうございました。

Cocoさん、お早うございます。
ご丁寧にありがとうございます。
私のコメントに入力ミスがありましたの。
「少なくない」とするべきを「少ない」と書いてしまっていました。
訂正させていただきましたが、意味がまったく逆になり、申し訳ないことでした。

Cocoさんの手作りの雑貨に、心がほっと和みました。
今朝はお詫びと、お礼のコメントをさせていただきます。

ウッシーさん、こんにちは。
遅ればせながらコメントしています。
母から戦争中、戦後の体験をよく聞いていました。
広島の原爆で友人が多く亡くなったそうです。
焼け野原になった場所を通ってやっとの思いで
動員地から引き上げたことなど話してくれます。
語り継ぐことは本当に大切なことだと思います。
戦争を知らない私達の世代がするべきことも
考えさせられました。

戦争の悲惨さを 語りつぐ事は大切な事ですが
私も戦後生まれ、主人もまだ生まれて1・2年
今は身近には 母しか戦争を体験した人がいません
昔 私が聞いた事を また娘や孫たちに伝えて行きたいです

アガパンサスさん、こんばんは。
お返事おそくてすみませんね。
私どもも、どうしても伝えねば、と思っていたわけではありません。
偶然にも、そういう機会が与えられたのでした。
これもめぐり合わせです。
この夏、あちこちでこのようなめぐり合わせがあったことでしょう。
お祖父ちゃんの文章は、メールに添付して、外孫にも送りました。

ハッセさん、こんばんは。
直接体験されない方は、聞いた話として、
伝えて行かれたらいいでしょうね。
私も敗戦は小2の時でしたから、
あまり多くはわからないのです。
時々老母に昔のことを話してもらっています。
元気なうちに聞いておきたいですね。

いつもこっそりと読んでいました。

が、原爆の話に手を止めてしまいました。
私は山口県出身で18からつい最近まで11年広島にいました。

私の父は一人っ子です。
厳密には姉がいます。
いました。
戦後すぐに栄養失調でなくなってしまったそうです。
戦争中でなければ生きていたかもしれません。

彼女(真由美ちゃん)も戦争被害者です。

たくさんの戦争被害者がいます。
とても辛く悲しいことです。

子供が産まれこれまで以上に平和について考えます。

水道をひねれば水が出て、
暑ければクーラーなんて使えて…

とても幸せです。
でも、人間ですものそれでも不平不満はあります。
だけれど、生きていられることが幸せと言うことは忘れずに
生きていきたいです。

gurico*さん、
はじめましてhappy01
ご訪問、そしてコメント書き込みありがとうございました。
小さいお子さんをお育て中の、お忙しい日々でしょうね。
ブログを拝読致しました。賑やかにお盆を過ごされましたね。
楽しさが、私にも伝わってまいりました。
悲しい時代があったこと、多くの命が失われたことを忘れないで、
この平和な暮らしに感謝して、毎日を送りたいですね。
9月は暑くなるそうですが、お体に気をつけて頑張って下さいね。

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