明るく、明るく、☆ もんぺスーツができました
ご訪問ありがとうございます。
もんぺの上着が出来上がりましたので、記事の終りの方を、少し書き直し、タイトルも変更しました。
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明るく、明るく
「あの頃のあなたには、道で出会っても声もかけられなかった」と、或る人に言われたことがある。
あの頃とは、私が幼い孫姉妹を母親に代わって育てるようになった、あの春のことである。
ボランティア仲間だったエヌさんも、たぶんそのようなお一人であったと思う。
下の孫のかりんが1歳を過ぎ、保育園の乳児クラスに入れてもらってから、私はボランティアに復帰した。
たとえ短時間でも、つらさを忘れたかったのだろうと、今では思う。
エヌさんは、夫婦でボランティアをし、旦那さんは私たちのグループをまとめてくれていた。
エヌさんは、いつも明るく私たちを笑わせ、夫を助けて会の雰囲気作りに力を尽くしていた。
或るとき私は「何でいつもそんなに明るくしておられるのですか?」と、愚かにもたずねてしまった。
「明るうしていなければ仕方ないではないですか。私はここを手術したんです」
エヌさんは、胸を押さえ、或る病名を口に出した。
そういえば、エヌさんは暫らく会を休んでいたことがあった。
そうだったのか、そうなのかと、私は納得できたのだった。
復帰した私は、エヌさんの言葉を忘れず、明るく明るくとつとめた。仲間はみんな何事もなかったように、私に話しかけ、仕事もさせてくれた。
私は別のグループにも加わり、やがてその後には自らグループを作って活動した。
ボラ漬けの時代が始まっていたのだった。この頃の私はかなり異常だったみたい。(~o~)
あれから8年はたっただろう。
最後に残っったのは、自分の始めたグループであったが、それもやめて3年近くになり、今は個人で細々と続けている。
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昨年の秋の終わりに、エヌさんから喪中はがきが届いた。
23歳の孫娘を亡くし…と。
エヌさんはその後つとめていた老人会女性部の役員を引退し、旦那さんも福祉委員をやめていた。
そのエヌさんへの寒中見舞いが、まだ書けていない。
今日こそは書こう、明るく、明るく…
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もんぺスーツができました
もんぺを作ったのは、たしか去年でした。
一昨年かな?
お待たせしました、もんぺさん
上着が昨夜出来ました。
これで上下が揃い、もんぺスーツになりました。
お読み頂き、まことにありがとうございました。
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コメント
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人にはさまざまなコトが降りかかっているのですね。
皆さんは人知れず苦労し工夫しながら乗り切っているのでしょう。
黙って凌ぐ人もいるでしょうし、ことさらにはしゃぐ様子を作って凌ぐ人もいます。
みんな立派です。
投稿: ひよどり | 2010年1月21日 (木) 10時28分
ウッシーさんは 御孫さんを 母親代わりに育てたようですが 私も息子たちがまだ小さいうちに 主人を亡くしてます。(現在は再婚しましたが...)
やはり 私の父が 子ども達にとって 父親代わりでした。父も色々思うところはあったでしょう。でも 男だからか それを見せることはありませんでした。
上の子が6年生の時 今の主人と再婚...
今度は 主人に助けられました。
おかげで 子どもたちは 人並みに育ち 上の息子は父親をやってます。
よく 父の愛情をうけなかったから...と言い訳しますが その代わりに愛情をかけてくれた じいちゃんや今の主人に感謝です。
ウッシーさんの お孫さんたちも おばあちゃんの愛情を沢山受け ステキなお嬢さんに育ったんだとおもいます。これからも まだまだ頑張って...
時には ストレス発散しながら のりきってくださいね。
なんか 今日は長々とかいちゃいました。
投稿: ひでちゃん | 2010年1月21日 (木) 12時01分
ひよどりさん、こんにちは。
本当に人生には思いがけないことが起ります。
誰が予想できるでしょうか?
それでも、人は強く生きます。
そういう人は、あちらにも、こちらにも、いて下さいますね。
投稿: ウッシー | 2010年1月21日 (木) 12時28分
ひでちゃんさん、こんにちは。


心にしみるお話をお聞かせ頂き、ありがとうございました。
家の場合、私の息子が微妙な立場になってしまっていますが、これも致し方ありますまい。
孫たちもやがて大人になれば、家族のひとりひとりの事情も理解できるようになるでしょうね。
とにかく明るく、馬鹿なくらい明るく過ごしてきました。
ときには人の目をごまくらかして…(笑)
今、わたし、笑っていますが目には
わけがわかりませんね。(ノ∀`)・゚・。 アヒャヒャヒャヒャ
投稿: ウッシー | 2010年1月21日 (木) 12時37分
ウッシーさん こんばんは 私だったら自分が大変な時に ボランティアなんてできないと思います すごいです 頭の下がる思いです 自分が誰かに「助けて~」って言いたくなる時なかったですか?自分の子供を育てるのと 孫を育てるのとでは プレッシャーが違うと思うのです いつも ウッシーさんの強さと時々垣間見える 心配事と・・・人間らしさを感じています もんぺの柄が私の大好きな鶴なので よけい いいなーって思いました 舞鶴生まれって理由だけなんですけどね^^ゞ
投稿: おけいこぶり | 2010年1月21日 (木) 19時27分
もんぺスーツ、祝完成
お洒落だし、本当に素敵
今日は心に染みいる話しを聞かせていただきました。
私も今でこそ努めて明るくって思えるようになりましたが、やはり病気に身体が乗っ取られていたころは、友達が何と言って声をかけていいか解らなかったよ、
今でも時々言ってます。そうとうひどかったんだな、私
これからでも遅くないから、ウッシーさんを見習って努めて明るく、明るく、暮らしていきます。
いつもウッシー師匠の後をついて行かせてもらってます。
投稿: たまちゃん | 2010年1月21日 (木) 19時29分
おけいこぶりさん、こんばんは。
私はもの凄いヒスも起こしました。

行李(こうり)ご存知ですか?
あれが宙を飛んだこともありました。
男どもが、下着がない、どこへやってしまったか、などと私を責めたから…
「この中にあるやろ!」と投げたのです。
家は壊れませんでした。(~o~)
かりんはベビーサークルに入っていて無事でした。
あの子を保育園に入れてもらえなかったら、私はどうなっていたでしょうね。
かりんも今のようにしっかりした子どもには育ってなかったと思います。
本当に感謝しています。公的支援にも、多くの方々にも。m(__)m
鶴の模様お好きなのですね。
鶴は空を飛べていいですねぇ。(^_^.)
投稿: ウッシー | 2010年1月21日 (木) 20時25分
たまちゃんさん、こんばんは。
みなさん、おもいやりのある方ばかりですよね。
じっと、立ち直るのを待っていて下さったんですね。
ありがたいですよね。
今は寒いけど、春になったらもんぺスーツで気分転換したいです。
変人ばあさんですよ、ほんと。(゜o゜)
投稿: ウッシー | 2010年1月21日 (木) 20時29分
ウッシーさんは悲しさ辛さを忘れるために
毎日ボランテア活動に精を出されていたのですね~
そんな時期、かりんちゃんを保育園に預けて~
よかったと思います、一日中孫ちゃんを見ていたら
ウッシーさんの心はどんなにか辛かったか~
上手く言葉では言い表せませんが~
エヌさん少しでも心が晴れるといいのですが~
もんぺスーツ素敵に出来上がっていますね、私も
時々サムイを着るんですよ~
動きやすくていいですね。
投稿: そらママ | 2010年1月22日 (金) 12時04分
そらママさん、こちらにもありがとうございます。

赤ん坊ちゃんを抱えたときは、育つかしら?と思いました。
あんまりぐずらない子で助かりましたが、惨め!と思ったこともありましたね。
ただ、意地っ張りだから、外には出しませんでしたけど。
意地張ってなかったら、へなへなと崩れていたでしょうね。
今振り返ると、孫を保育園に入れてボランティアは変だとも思いますね。
でも、老人の体力では24時間は無理でした。
孫も友達といっしょに過ごし、生活の技術も見につけさせてもらえました。
保育園育ちはたくましいし、友達作りにも秀でています。すごく感謝しています
投稿: ウッシー | 2010年1月22日 (金) 15時02分