いつも…
2月が近づいてきました。
かりん孫の生まれ月です。
私にとっては、身の引き締まる思いで迎える月。
2月はまた他にも、非常に印象深い月でもあります。
34年前の2月には、つれあいの母が急逝したのでした。
この母とは、遠く離れて住んでいましたから、たった数回しか会いませんでした。(私は気楽な嫁だったのです)
けれども、手紙は数え切れないほど出したし、母からももらいました。
母の手紙の書き出しは常に決まっていました。
「いつもありがとうございます」
いいなぁと、私は思い、母の死後はまねをさせてもらいました。
友達への手紙、学校の先生への連絡帳などへの記入など、いろいろに役立ってくれました。
今でも私の手紙は、この一行で始まっていることが多いです。
母の言葉で忘れられないのは、過去にもブログに書いたかもしれませんが、「馬鹿なのか、利口なのかわからない男の所に来て、大船に乗った気で生きて来てしまったけど…」でした。
つれあいの母は私の実母とは違って、旧家に生まれ、女学校に入り、更に上級の学校に進み、裁縫の教師の資格を持っていたようでした。
袴姿に編み上げ靴で、颯爽と通学したらしいのです。
けれども母は、山村の世襲の神官の家の主婦として、その生涯を終えたのでした。
母は67歳でこの世を去りました。
私は母よりも5年も長く生きていますが、全てにおいてこの母を越えることはできません。
越えられないままで終ると思いますが、それでいいと思っています。
越えられない目標があるのは幸せなことだと、私は思うのです。
お母さん、私は72歳になりました。
あなたの息子は78歳です。
私はあなたの孫の嫁を亡くしてから、あなたの曾孫ふたりを育ててきました。
お母さん、私は縫い物、好きなんです。
今日も刺し子の図案を画きました。
゜。°。°。°
。°。°。°。°
。゜。°。°。°。
« 口直し(追記しました) | トップページ | いり豆→目覚まし→しり切れトンボ »
「手作り」カテゴリの記事
- 布マスクを作りました(2020.03.02)
- 必要に迫られて作った「手ぬぐいブラ 」 (2019.09.08)
- お約束のりんごケーキ 製粉会社の回し者ではないですに(^.^)(2017.04.18)
- 熟し柿でゼリー&ケーキ(2016.10.30)
- ネコが喜ぶ?「鍋布団」(2016.09.03)
「日々のこと」カテゴリの記事
- 6月6日と書いてしまった(2021.07.06)
- 亀の来る季節(2021.05.18)
- 昨日のこと、その前の日のこと(2021.05.16)
- 急に暑くなり (2021.05.06)
- 長寿?の睡蓮(2021.05.05)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
いつも ありがとうございます
感謝を 忘れてはいけませんね
主人の父に 最近 そっけないから
心 改めなくっちゃ~
わたしも 2月 生まれです
又 歳 取るにゃ~~
投稿: お茶芽 | 2010年1月13日 (水) 22時36分
いつもありがとう
その一言が胸に染みます
越えられない壁ではなく
越えられない存在って無敵ですね
コメントしない時が多いけどいつも読ませてもらってます
ありがとう
投稿: バンビ | 2010年1月14日 (木) 00時08分
もうすぐ2月。2月への深い深い想い。感じさせていただきました。
母への手紙・・しみじみしました。私も天国の実母へこうして手紙をしたためてみようと思いました。母が亡くなってから28年たちます。
頑張ってこられたウッシーさんにお母さんとママもいつもエールを送ってくれていると思います。
手紙って温かみがあってとても好きです。
PCの前からも沢山の人がエールを送ったり、和みをいただいたりしています。
ウッシーさんとお母さんのお手紙のやりとり、いいですね。
投稿: たまちゃん | 2010年1月14日 (木) 00時30分
ずいぶん以前から読ませて頂いていますが、コメントを書くのは初めてです。
ウッシー様より一回りほど年下で、今年還暦を迎えます。今日も読みながら涙が止まりませんでした。
いつもいつも、泣いてしまいます。
かりんちゃんや姉さんの楽しい話題を読んでも泣けてしまいます。
ウッシーさんの優しさ、強さ、素晴らしいです。
私は2歳で母を亡くしました。
父は再婚し、私は養父母の元に行きました。
何の縁もない養父母で、祖父母のような年齢の人達でした。
大事に大事に、目の中に入れても痛くないように育てて貰いました。
本当に幸せでした。
唯一、心が痛んだのは、私が大人になるまでに父が、母が死んでしまうのではないかと言う不安でした。
幸い両親ともに90歳を超えるほど長生きをしてくれましたので、ほんの少しは親孝行、恩返しが出来ましたが、今も両親の夢を見て、ありがとう、ありがとうね、親孝行してあげられなくてごめんね、もっともっと長生きして欲しかった、と泣いて、自分の泣き声で目が覚めることもあります。
長々と書きましたが、どうぞお体大切に、いつまでも健康で居られますよう、お祈りしています。
投稿: のんまま | 2010年1月14日 (木) 01時10分
お茶芽さん、お早うございます。
きびしい冷え込みでしたねぇ。
2月生まれでいらっしゃいますか!
2月は寒いけど、本当の春が来るのを待つ希望の月でもありますね。
節分用のいり豆も売り出されました。
頑張りましょ。
この寒さ、乗り切りましょね。(^_^)
投稿: ウッシー | 2010年1月14日 (木) 09時12分
バンビさん、お早うございます。
そして、お寒うございます。
つれあいの母だから、義母と書くべきなのですが、何となくそうは書きたくなかったのです。
母が亡くなったとき、「ああ、もう駄目だ、もう張り合いがなくなった」と思いました。
私も少しは成長できるはずだから、それを見ててほしかったのです。
人生は残念なことの連続ですね。(^_^)
投稿: ウッシー | 2010年1月14日 (木) 09時18分
たまちゃんさん、お早うございます。
さむいですねぇ。
今日の給食の献立は?
頑張ってくださいね。
お母さんに、お手紙
あちらの世界の人は決してもう、私たちを裏切ったりはしません。
裏切るのはこちらの世界のわれわれです。(笑)
ときにはあちらの世界の人と話したり、手紙を書いて、心の洗濯をしたいと思います。
投稿: ウッシー | 2010年1月14日 (木) 09時23分
のんままさん、はじめまして。
コメントまことにありがとうございます。
私が泣けてきました。
私の孫たちも、のんままさんと同じことを心配しているでしょうね。
先日かりんと一緒に入浴したとき、「ばあちゃん、長生きして」と、突然言われました。
かりんの顔は笑っていました。
私も笑顔で「はいよ」と答えました。
貧乏でも苦労が多くても、この子達が成人するまで生きていたいと思いますね。
それだけですわ。(^_^)
投稿: ウッシー | 2010年1月14日 (木) 09時30分
2月はそういう月だったのですね。
かりんちゃんは寒い季節に生まれ、お母さんとお別れしたのですね。
ウッシーさんの義理のお母さま、はいからさん&モガだったのでしょうか。
とてもステキな物語を読んだような気分です。
先日、韓国のお母さんに上戸彩がキムチ作りを教わる、という番組を見ました。
韓国の一般的なお母さんは、寒い季節、家族のことを思いながら素手でキムチをつけるそうです。
そこには調味料+母の手で味が変わるって。
だから、家庭の数だけキムチの味があるって。
そして、そのお母さんは「いつでも母の味を思い出しながら漬ける。でも、決して母の味には追いつけないだろう」って語っていました。
ウッシーさんのお母さまの話を読みながら、その韓国のお母さんの言葉を思い出しました。
みんな自分なりの目標があるから、前に向かって歩けるんでしょうね。
投稿: ゆかにゃご | 2010年1月14日 (木) 10時15分
ゆかにゃごさん、お早うございます。

尊いいのちが誕生しますね。(^_-)
寒いです。ぶるぶる…
PCを時々覗いては、また、あたたかい台所に逃げ込みます。
こんな寒い季節にも
つれあいの母は、きっとハイカラさんだったのですね。
田舎なんですけどねぇ。
キムチのお話、いいお話ですねぇ。
ありがとうございました。m(__)m
つれあいの母の白菜漬けは美味しかったです。
幾樽も漬けたんですねぇ。
まねなんか出来っこありません。
不戦敗ですよ。(笑)
投稿: ウッシー | 2010年1月14日 (木) 10時39分