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この間から、私はけなされていました。
「ばあちゃんの作るものは、いつも決まってるじゃないか」
箸ぶくろ、きんちゃく、エプロン、それに刺し子のふきんだけ…
かりん孫が、けなしたのでした。
「あんたこそ、作るのはぴよとかいう、マスコットだけやないか!」
私も負けずに言い返しましたが、かりんはまた言いました。
「ぴよには、いろいろな種類があるよ。同じものばかりではないもん」
なるほど、いろいろあるのですね。
私の負けかも知れません。 ところで、先週は、かりんの卒業式があったのですが、そこで私は、多くのお母さん方から、お礼を言ってもらったのでした。
他でもない、かりんからの、プレゼントへのお礼でした。
「かりんちゃんのおばあちゃんですよねぇ。家の子が、可愛いマスコットのぴよをいただいて…」
また、卒業アルバムへの寄せ書きにも、
「ぴよ、ありがとう」
「中学校に行っても、ぴよ作ってね」
「ぴよ作る人になってね」
などの書き込みがぎっしり!
母のない子は、友達こそが財産です。
手芸の好きなかりんは、愉しみながら ”ぴよ外交”をくり広げていたのでしょうね。
どうやら、家庭内のけなしあいは、
私の完敗であったようです。(~o~)
♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪
春がきました。
私の家の周りには荒地が多いのですが、
荒地の春も、いいものです。
昨夜は強風が吹き荒れ、今日は黄砂です。
それでも、春の訪れはうれしいですね。
お読み下さいまして、ありがとうございました。
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何時に出かけるの?
12時すこし前に出るよ。
じゃ、11時前に食べればいいね。
ばあ様は、家族の都合に合わせてご飯ごしらえをするのなんか、へっちゃらです。
ばあ様は、食べさせ屋なのさ。
ご飯、作ってくれ、とか、食べさせてくれ、とか、素直に言われるのは感じがいい。
ご飯にしようよ、などというのがいると、ばあ様は腹が立つ。
自分は、作りもしないくせに、何を言うか
勝手にご飯にしたらと言いたくなるのをぐっと我慢する。
5人の家族の中で、今のところ食べさせ屋は、ばあ様ひとりです。
けれども助手はいるのです。
ばあ様は、その助手を、一人前の食べさせ屋にしようと努めています。
食べさせ屋こそ、家の大将!と、ばあ様は思っています。
ばあ様の家に、二代目の若大将が生まれる日は、そんなに遠くはないです。
この、若大将(候補)、口は八丁、手はウン丁、
将来が、まっこと楽しみです。
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高校時代の友達が電話をしてくれて、楽しくおしゃべりしました。
そして話は、お互いの、つれあいのことに、なって行きました。
「もう、うるさいんよ、耳栓したいくらいなんよ」 と友達は言いました。
「耳栓?私なんか耳栓どころか、イヤーマフ買ったよ」 と、私。
「うっそぉ~」
「ホントやに、耳栓して、イヤーマフしたら、もう、何も聞こえないから…」
これが、私の、イヤーマフです。(^_-)
耳栓を併用すれば、そこは、もはや静寂の世界であります。
どこかのサイトから写真を借りたかと、お疑いですか?
右上に写っているもの、それが、これです。
私の母からもらった銘仙の着物を解いた布で、作ったのでした。
紐はナイロン製ですが、裏布も、配色布も、古絹です。
裏布は、絹の胴裏で、配色布は、元は私のブラウスでした。
母が、95歳と言う高齢で、すこぶる元気にしていてくれるので、その母の長寿にあやかりたくて、母の着物のお古で小さな巾着袋を作ったというわけです。
これで、イヤーマフが、私の物だと信じていただけたと思います。
ところで、爺さまは、このイヤーマフのことを、何と思っているでしょうね。
実は、まだ、爺さまの前では使っていませんの。^^;
でも、これがあるだけで、私は安心なのです。
いざという時は、これが、私を守ってくれますから…♪♪♪
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
先週の土曜日、東京の大先生が、お電話を下さいました。
「鳩サブレーを、送りましたからね。お家のみなさんで、召し上がってね。」
もったいなくも、ありがたいことでした。
「お忙しい中から、すみません」
「することは多いのですが、忙しいとは、思いませんのよ」
あ、しまったと、思っても、もう遅い。
「さようなら」 と言う言葉は嫌いで、決して使わないと仰る先生は、「忙しい」という言葉も嫌っていらっしゃるのでした。
先生は、ある方面では、全国に名を知られた大先生です。
私は20年近い間、先生が講師をされる研修会の受講生でした。
現在はもう、先生の講習はこの近くでは行われていませんが、以前は年に4回は受講していたのでした。
あの頃の受講生仲間は、私が、先生から「声のたより」や、プレゼントを頂くことを知りません。もしも知ったら「いったいどういうこと?!」 と、驚くに違いありません。
大先生と私を結ぶキーワードは、「第二の子育て」「孫育て」なのでした。
先生のご両親は、先生のお兄様であるご長男を亡くされ、遺児ふたりを引き取って育てられたのでした。女学生だった先生は、甥御さんたちと姉弟のように暮らされたということでした。
12年前、私が嫁を亡くし、孫姉妹を育てることになった時、先生は「とても他人事とは思われません」と、お電話で私を慰め、そして励まして下さったのでした。
それ以来、先生は、常に私の孫たちの成長を願って下さり、私の健康を気遣って下さいます。
まったく畏れ多い事でありまして、お電話の度に私は身体がこわばり、舌ももつれる思いなのです。
孫姉妹の部屋には、先生が下さった、ぬいぐるみが大切に飾られています。
私には、昨年、手作りの手提げ袋を送って下さいました。
「私が、袋物が好きなのを知って、たくさん作って送って下さるの…」と、いうことでしたが、しっかりしたデニムに花のミシン刺繍の、とても可愛い手提げです。
贈り主である、先生のファンの方に申し訳なくて、写真で公開することは差し控えますが…
春は、希望にあふれる季節ではありますが、私には、愛する家族を失った喪失感のよみがえる、辛い季節でもあります。
私が辛く惨めだったあの時、「他人事とは思われません」と励まして下さった、先生のお声は、今も私の耳の奥に生き続けて下さっています。
東京の大先生は、私にとって、生涯の師であり、いのちの恩人です。
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たくさんのコメント、ありがとうございます。途中ですみませんが、家事都合により、本記事のコメント欄を閉めさせていただきます。お許しくださいね。
ねーさん孫が、今日、高校を卒業しました。
式は、厳粛というよりも、勇壮といったふうに思われました。
体育大会の開会式とか、閉会式のような…
ばあ様は、この体育の盛んな学校を、体育系ではないねーさんが、無事に卒業してくれてほっとしていました。
帰りのJRの乗り換え時間の合間に、駅前のお店に入って、ふたりで味噌煮込みうどんを食べました。
ささやかな、卒業祝いでありましたが、じい様から、ねーさんの携帯に電話が入りました。
「52分発の列車なんかないぞ!」
先刻、52分発で帰ると電話したのでしたが…
あわてて、時刻表を見るねーさん。
52分発は、14時台でした。
13時台は36分しかありません。
いま、時刻は13時30分です。
ねーさんの携帯が、ばあ様に回ってきました。
「いま、何しているんだ!」
「うどんを食べています」
「どこなんだ!」
「駅前です。早く帰らないといけないですか?!タクシーで帰ります!」
けれども、結果としては、タクシー代も惜しいし、腹も立つので、バスで帰ったのでした。
めでたいねーさんの卒業式の今日でしたが、小6のかりんは昨夜から発熱、学校を休まねばなりませんでした。
じい様は、かりんを病院に連れて行ってくれたのでした。
新型インフルかと、心配でしたが、普通の風邪だったそうです。
そして、実のところ、じい様にとっても、今日は卒業式のようなものだったのでした。
14年間、務めてきた、氏神様の氏子総代を、今月限りで引退することになり、今日3月1日は最後の月例祭だったのです。
つまりじい様は、自分の卒業式を欠席しなければならなかったのでした。
そして、ばあ様と、ねーさんの帰宅を待ちかねていたじい様は、あとかたつけのために、氏神様へ出かけて行ったのでありました。
お薬を飲んだかりんは、熱も下がって、よく眠っています。
4日は、卒業生を送る会、5日はお別れ遠足で、長島スパーランドに行くことになっています。
明日、もう1日休んだら、元気になれるでしょうか?
孫育て、じい様ばあ様は、まだまだ心配ごといっぱいの日々を過ごすことになるのです。
めでたくもあり、めでたくもない今日でありました。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
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