いつも待っていた、そして今も…
中古の本を買いました。
カス頭には、難解でしたが、読んでよかったと思っています。
そして、また読み返しているところです。
本の帯には、「待たない社会」とありますが、私は、今も昔も「人」を、「時」を待つ暮らしです。
子どもの頃は、親が仕事から帰るのを心細く待っていました。
大人になり、主婦になり、主人という人の帰りを待っていました。
長期間の出張もあって、一人で過ごす夜は恐ろしくて眠られず、朝が来るのを
じっと待ち、やがて辺りが明るくなってから、
安心して眠りました。
身ごもってからは、子どもの生まれる日を待ちました。
陣痛が弱く、ダラダラ型と言われ、(+_+) 2日がかりの出産でした。(2人目も同じ)
生まれた子どもが大きくなるのを待って、やがてその子達が帰宅するのを、毎日待ちました。
今も私は子どもや、孫の食事を用意して送り出し、帰りを待つのが仕事です。
勿論、待つのは帰りだけではありません。身辺にある気がかりなことが、好転するのを待つこと、それも大きな仕事です。
「意のままにならないもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではどうにもならないもの、それに対してはただ受身でいるしかないもの、いたずらに動くことなくただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」や「希い」や「祈り」をこめなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそれを手放すことなくいること、おそらくはそこに、(待つ)ということがなりたつ。」 (上の本からの引用)
ただじっと待つことはつらいです。
何かに向かって行く方が、まだましだと思います。
私は弱いから、純粋に待つことはできません。
家族の帰りを待つような時でも、何かをしながら待っています。
「…待つことを忘れ、「時を細かく刻んで」、小さな小さなことにかまけなければならない。…」
「…埋没すること。あとは時間がなんとかしてくれる。それまで時間をしのぐこと、しのごうとしていることも忘れてしのぐこと。たぶんそれしかわたしにはできない……。」(本からの引用)
本のなかの、母親の姿に、私を見た思いがました。
私の手仕事の多くは、時間しのぎにほかなりません。
子どもを、孫を、送り出し、その無事な帰宅を待つ、身辺の心配事が少しでも良いほうに向かうのを待つ、その時間しのぎに、私は小さなものを縫っているのでした。
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いま縫いかけている、もんぺの上着は、着物の上半分ですが、そのほとんどをほどく羽目になりました。
上着丈が足りませんので、ロウウエストの位置で、半幅の布を10枚以上もつないで継ぎ足します。
はてさて、どんなものになりますやら…
お読み頂きありがとうございました。
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