我慢の人
母が亡くなってからもうすぐ一か月になります。
郵便局に行った時など、帰りに実家に寄って見ようかなと思っては、ああ、もう母はあの家にはいないのだと、気づかされます。葬儀会館での母の葬儀は、私たちから見れば最後の旧式な(派手な)葬儀ではなかったかと思います。
喪主の弟も「自分は葬式はもっとひっそりしたのが理想や」と終ってから言っておりました。
開式に先立って、母の生前のプロフィールが紹介されましたが、少し褒められ過ぎでした。
この点についても弟は「歯の浮くようなことは言わんでくれと頼んであったのに」と苦笑していました。
真面目で、誰からも好かれ、温厚で…。
この温厚と言うのが、弟と私には引っかかりました。
母はたしかにまじめで控えめな人で、人の悪口など言うのも聞くのも嫌いでしたが、控えめな中に烈しいものを秘めていたと思います。
私は幾度も母と口げんかをしました。
電話で喧嘩して、ガチャン!と切ってしまったことも一度や二度ではありませんでした。
母はもう自分では歩けなくなってからも、気に入らないことがあると口をきかなかったと、弟は笑いながら言っていました。
他人には表せない心の内を、私たち子どもには見せていたのだと思います。
しかし母の一生を短い言葉で言い表すならば「我慢の人」だったと言えると思います。
母の戒名には「大姉」がついています。
もともとは「禅定尼」だったのですが、三十年前に亡くなった父が「居士」をもらったために、釣り合いをとるために今回一部書き換えられたのだそうです。
パソコンの文書で言うならば「編集、上書き」されたわけなのでしょうね。
母の舅、姑である私の祖父母の戒名は「禅定門、禅定尼」ですから、嫁である母としては「私は元のままで良かった」と思っているような気がします。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
いつも応援ありがとうございます。
にほんブログ村
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
« うれしいこと | トップページ | 奥山君の声を聞く »
「母を思う」カテゴリの記事
- あれから3年たったんだ(2017.05.05)
- 母を思って… このカーデ、このボタン(2016.11.14)
- ありがとう(2015.09.25)
- 一年たって(2015.06.25)
- ビーズつなぎながら(2014.09.11)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
« うれしいこと | トップページ | 奥山君の声を聞く »
月日が経つのは本当に早いものですね。
投稿: 胡麻好き | 2014年6月 3日 (火) 18時36分
ウッシーさん、こんばんは
もう一ヶ月ですか・・・
紹介される言葉はきっと良いことばかりでしょうね。
人間は人によって印象は違いますからそのようになるのでしょう!
一番近い者が分かるのです・・・
私はなんて言われるのだろう!!ぞっとします(笑)
投稿: dorucasu | 2014年6月 3日 (火) 20時42分
胡麻好きさん、こんばんは。
本当にあっという間ですね。
投稿: ウッシー | 2014年6月 3日 (火) 20時44分
dorucasuさん、こんばんは。
私は性格悪いです。
ロクな者じゃありません。
でもね、出来れば言われたいです。
「ともかく祈りの人であった」と。
投稿: ウッシー | 2014年6月 3日 (火) 20時46分
久しぶりに覗かせていただきました。
お母様は亡くなられたのですね。
困らせた分だけ淋しいと思います。人間、いつかは終りになるのですが・・中々受け入れられませんね。
おのずと自分はどうなのかと考えてしまいます
順送りですね。
投稿: どら | 2014年6月 6日 (金) 11時19分
どらさん、こんにちは。
来て下さってありがとうございます。
本当に自分はどういう最後なのだろうとばかり考えています。
自分で努力出来ること、努力してもどうにもならないことがあります。
投稿: ウッシー | 2014年6月 6日 (金) 15時14分