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昨日、おじいさんは、白内障の右目の手術を受けた。
左の眼は、今月1日に終わっている。
今朝は、おじいさんが眼帯をはずしてもらいに行くので、洗濯は私が担当。
5時過ぎから始めて3回に分けて洗い、9時にはすべて干し終えた。
その後、台所兼食事室を冷房しておじいさんの帰りを待った。
昨日は、おじいさんが手術を受けている時間に、孫姉妹と3人で家の近くのカジュアルレストランにランチをしに行った。
さすがに少し気が咎めていた。
「いただきます」の前に「手術の成功を祈ってあげてよな」と孫たちに言うと、下の孫は、「ま、大丈夫やろ」と笑う。
私たち、冷たい女どもでしょうか
それでも上の孫は、この日に合わせて休みを取り、おじいさんの眼科行きの送迎をしてくれた。
私も同乗したが、迎えの時はあいにく激しい夕立になった。
上の孫は「前が全然見えない!」とか、「この道は嫌い!」などと言いながら運転するのではらはらした。
先刻、眼帯を外してもらったおじいさんが帰宅した。
順調に回復しているとのことで、ほっと安心。
今日は猛暑、家で静かに過ごすことにする。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
先週金曜日の夜、母方の叔母が急に亡くなって、俄かに忙しくなりました。
知らせを受けたのが土曜日のお昼前。
あくる日曜日に火葬、お通夜、月曜日が告別式という日程でした。
昨日は、教会の礼拝から急ぎ帰宅、昼食をすませて1時30分の出棺の見送りに行きました。
斎場で、最後のお別れをし、夜にはお寺でお通夜でした。
叔母は亡き母の一番下の妹で、母の5人姉弟の、最後に残った一人でした。
あの世で姉弟と再会できて、今頃はにぎやかに過ごしているでしょうか。
けれども、こちら側の私たちは寂しいです。
(ここまで、21日朝に書きました)
午後1時30分から、葬儀、告別式、初七日の法要が、やはりお寺で行われました。
お墓での納骨式も引き続いてあったのですが、喪主の従弟が、暑いさなかなので家族だけで行うというので、私たち姉弟や、久しぶりに顔を合わせた従妹たちも、それぞれに家に帰りました。
お墓での暑さが何よりも心配だったので、従弟の気遣いが身に沁みました。
参列の姪甥の中では私が最年長で、一つ上の従兄は、体調が悪いのか何か事情があるのか、姿が見えませんでした。
亡くなった叔母は私の母とは一回り年下の91歳。
デイサービスには行っていましたが、元気だったそうです。
金曜日の朝、気分が悪いと言って救急車で病院に行き、その夜亡くなりました。
長寿の家系だし、まだまだ健やかに過ごしてくれると、誰もが思っていたのに。
あわただしかった二日間が過ぎようとしています。
この暑い時期の葬儀を、無事に乗り切ることができてほっとしています。
たった一人残っていた母方の叔母を亡くした寂しさ以上に、自分の体調への不安が大きかったことがなさけなくて、申し訳なく思っています。
時刻は15時10分です。
今日は午前と午後に激しい夕立がありました。
夕立を超えていると思いました。
スコールというものを体験したことはないけど、これはもうスコールに近いのでは?と思ったほどです。
午前の夕立の時は、空きペットと空きアルミ缶をリサイクルに持って行った帰りでした。
傘なんか持っていませんから、通りかかった雑貨店で雨宿りさせてもらいました。
うかつにも携帯電話も不携帯、少しばかり焦りました。
下の孫が、サークルに行くので早めにお昼を食べる、と言っていたからです。
けれども、雨は思ったより早く上がって、無事に家に帰りお昼に間に合いました。
午後の雨が降り出したときは眠くて仕方がなかったので、ごろんと横になりました。
そのまま寝てしまって目覚めたら止んでいました。
「寝てしまったわ。今は何もしたくない病でね。」というと、
おじいさんは黙っていましたが、あちらもどうやら何もしたくない病みたいです。
ほんとに何もしないもの。(ほとんど一日中テレビの前)
ブログ開始11周年記念日が近づいています。
そして、その少し先には、80歳の誕生日が待っています。
この「70歳代」のカテゴリーともお別れです。
「卒業」と思った方が寂しくないですね。
80歳になっても、よろしくお願いします。
それまでには、この「何もしたくない病」から抜け出していたいです。
すっかりやる気のない人間になってしまって、悲しい限りです。
昨日は、(決まりきった家事以外には)これということもせずに一日が過ぎました。
強いて言えば、スーパーのリサイクルステーションに、古紙を少しばかり持って行ったことでしょうか。
今日したのは、(これはおじいさんには内緒ですが)、庭木の下枝を切り落としたくらいです。
下枝が邪魔で、草取りができないからです。
おじいさんに見つかったら、怒るかな、笑うかな、たぶん怒ると思いますよ。
昨日の古紙出しも、今日の庭木の下枝切りも、本当はどうしてもしなければならないことではありません。
しなければならないことは他にあるのに、それを一日延ばしにしているのです。
やる気のない自分が嫌だな、なさけないな、と思いながら、夕方が来てしまいます。
今日ももう夕方ですよ。
明日は、しゃんとして暮らせるかな?たぶん無理でしょうね。
気になって仕方のない、しなければならないことに手をつけたいのですけどね。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。。
銀行のATMは込んでいるだろうな。
駐車場も満車にちがいない。
そういうのが嫌で、支給日に預金を引き出すのをやめた。
年金が入る1週間前くらいに、生活費を下ろすことにしたのだった。
ほとぼりが冷めた頃に記帳に行けば良いのだ。
何年前であったか、年金支給日に銀行に行くとプレゼントがもらえると教えてくれた人がいた。
「何が頂けるのですか?」と、案内係の女性に尋ねると、通帳の提示を求められた。
年金の入金を確かめてから渡されたのは、ピンクの包装紙に包まれたトイレットペーパー1個だった。
”ありがとう”の文字が印刷されていた。
そのトイレットペーパーは、今もトイレの棚の片すみに置いてある。
使う気がしないし、もう二度ともらう気にもなれない。
案内係の女性から、年金入金確認を受けねばならなかったあの瞬間の「嫌な感じ」を、今も忘れない。
たった1個のトイレットペーパーのために、何かを失くしたような気持だった。
大切な、それがなかったら家族は生きてこられなかった年金。
夫66歳、私60歳から始まった孫育ても、その年金があったからこそ可能だったのだ。
通帳の中身を見られた時の「嫌な感じ」と引き換えに手に入れた、”ありがとう”の文字の踊るピンクのトイレットペーパーは、私にとってただの景品ではない気がしている。
今日は、中元祭巡拝といって、神官さんが我が家の御霊屋に祝詞を上げに来て下さる日。
家中をいつになく丁寧に掃除して、日常の暮らしのごたごたした物すべてを片つけた座敷に神官さんをお迎えする。
二部屋の間仕切りの襖を開け放ち、エアコン2台で冷房して、寒いくらいにするのが慣例となっている。
朝8時、川向うのコンビニに、神官さんにお手渡しする小さいぺっとの緑茶と、ブラックコーヒーの缶を買いに行った。
台風5号が去り、朝の風が涼しく吹き渡る橋の上から見る川の水の濁りが薄まっていた。
帽子が風に飛ばないように、あごのゴム紐をしっかりとかけていたが、(この帽子が飛ばされ川面に浮かんで流されて行ったとしたら、それはそれで面白いだろうな)と、ふと思ったりした。
中元祭巡拝も、今年で20回目となる。
孫姉妹の母親が世を去ってから、19年6か月になろうとしている。
私たち老人二人、今年も何とか無事にお盆を迎えることができそうで、しみじみとした思いに浸っている。
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。
神官さんは、予定より30分遅れて、来て下さった。
炎天下を、スクターで来られたのだった。
お坊さんや神官さんが、忙しく過ごされる時期なのだ。
ブログのカレンダーが7月のままでした。
これはちょっとまずいな、と言う感じで書き始めました。
大して変ったこともありません。
ありがたいことだと思っています。
昨日、ご近所から、大きなスイカを頂いたのでしたが、嬉しい戸惑いがありました。
「どうやって冷やそう⁈」
家にあるバケツには大きすぎます。
「とにかく切って冷蔵庫に入れるしかない」
と、いうわけで、姉さん孫が包丁を入れました。
パリッと音がして、スイカが割れます。
「あ!割れた、割れた!」
と、じいさんが騒ぎます。
(うるさいなあ、もう~)
「割れるんですよ、良く出来ているからです。割れて良いんです」
半分は、何とか野菜室に収まります。
「あの家に持って行くか」
私の実家です。
けれども、電話したら、実家の冷蔵庫にもスイカが半分はいっているそうで。
次に私の従妹の店に電話、「小玉さんがはいっとる」ということなので、
「四分の一、もらってくれる?」と、交渉。
昨夕のデザートに四分の一を頂き、今朝のご飯の後に、八分の一。
残りは八分の三となりました。
あ!分数の足し算できましたよ。
めでたし、めでたし。
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