終戦記念日
午前4時すぎ、雨の音に目が覚めました。
編戸の窓から涼しい風が入ってきて、これぞ水冷式天然クーラーだと思いました。
雨はその後も降ったり止んだりしています。
お盆の15日、終戦記念日の今日、久しぶりに酷暑から解放されています。
73年前、私は小学2年生でした。
父は戦地に行って留守、祖母、母、弟、父の妹である叔母、私の5人家族でした。
家にはラジオがなく、お隣の窓から聞こえる玉音放送に耳をそばだてていました。
子どもにはよくわからなかったけれど、大人たちが
「負けたんや」
「今晩から安心して寝られる」
「もう防空壕に入らんですむ」
「灯火管制も終わりや」
などと話すので、戦争が終わったことを知りました。
中国大陸にいた父のことには、その時は誰も触れませんでした。
やがて、方々で戦地から帰還する人がいましたが、父の消息は不明のままでした。
親戚の人々からは「死んでいるのだろう」と言われていたらしいです。
しばらくして、父と同じ部隊にいた人がひと足先に帰国して、父が捕虜収容所にいることがわかりました。
昭和22年(1947年)4月の夜更け、父は突然玄関の戸をドンドンと叩いて帰宅しました。
「びっくりさせたたろうと思って、黙って帰ってきたぞ」が帰宅第一声でした。
私が小学4年生になったばかりの春のことでした。
戦中戦後の思い出を話し合う身内もなくなりました。
父には、もっと戦地のこと、捕虜収容所での話を聞いておくべきでした。
母とは、父のいなかった頃のことや、戦後の貧しかったくらしのことなど話したいことがたくさんあります。
あの世とこの世に分かれて住むようになった今では、もはやかなわぬ願いですけれど。
・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆
« 蚊はまだいない 雨も降らない | トップページ | 安心するのは早い »
「日々」カテゴリの記事
- 終戦記念日(2018.08.15)
- あれから10年(2016.08.27)
- あの夜からはじまった(2015.08.30)
- 今夜は教会へ 追記あります(2011.10.18)
- 人生いろいろ クラス会(2011.10.14)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
はじめまして。
お父様は戦地から生きて帰って来て良かったですね。
私の父親は19年に戦死しました。
父親に抱かれたのが現実だったのか夢を見たのか
今だにわかりません(出征したのは1歳でした)
天皇陛下として最後のお言葉「世界の平和とわが国の一層の発展…」
胸に沁みました。
投稿: 夢 みるこ | 2018年8月15日 (水) 14時33分
そうですね、「危険な暑さ」からも解放され、
久しぶりに過ごしやすい日でしたね~(^^♪。
終戦記念日のきょう…、
小学二年生だったあの日のことが、
蘇って来られたんですね、ウッシーさん。
二度としたら駄目、
みんなが不幸になる戦争は。
投稿: shizuo | 2018年8月15日 (水) 17時02分
夢 みるこさん、初めまして。
ご家族のみなさま、ご苦労なさったでしょうね。
私の場合は、気難しい父でしたし帰宅しても甘えることもありませんでした。
ただ、生きて帰ってくれたのが幸運でした。
戦争で多くのものが失われたと思います。
昭和は遠くなりましたね。
終戦について語る人もほとんどありませんね。
知らず知らずの間にに願わしくない道に進むことがないようにと思います。
天皇陛下のお言葉は深く心にしみました。
投稿: ウッシー | 2018年8月16日 (木) 11時18分
shizuoさん、こんにちは。
命に関わるような暑さはもう来ないでしょうか?
少しは涼しくなりましたね。
夏の疲れが出ませんように、お気をつけになってくださいね。
投稿: ウッシー | 2018年8月16日 (木) 11時21分
こんにちは。
我が家でも主人のおじ様が二人戦死されてて
主人実家の仏壇におられます
私の父は引き上げて来た時はガリガリに痩せこけて
何日間も眠り続けたそうです
そして母の兄さんは戦死されたそうです
このような話を母が元気な頃には良くしてくれたものですわ
平和な世の中が何時までも続くよう願いますね。
投稿: wakasaママ | 2018年8月16日 (木) 12時15分
wakasaママさん、こんにちは。
私の父も帰宅してしばらくたってから、体調を崩して家で休んでいました。
何か月くらいでしたでしょうか。
大変だったのでしょうね。
子ども心に心配でした。
やがて元気を取り戻して、お友達の会社に迎えて頂き、家族のために働いてくれました。
戦争の悲劇は繰り返してはなりませんね。
投稿: ウッシー | 2018年8月16日 (木) 14時06分