さつきの花が咲き始めた
昨年の10月のある朝、じいさんが寝ている隙を狙って剪定をしたさつきに花が咲いた。
反対側から見ると、
上等ではないか。
良かった良かった。
気をよくしてじいさんに言った。
「去年の秋に私が剪定したさつきに花が咲いたよ 」
じいさんは無言だった。
内緒でと言うか、無断で行った剪定だったが、実はじいさんは気づいていたのだった。
だいぶんたってから正直に打ち明けた私に「後で刈り直すよ」と言っていた。
けれども、じいさんは刈り直しもせずそのままにした。
去年私が剪定したさつきは4本。
4本とも無事に花が咲き始めた。
じいさんは、褒めもせず、けなしもしない。
無関心なのか、面倒くさいのか、ずるいのか、何考えているのかわからん!
* * * * *
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コメント
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ウッシーさん、今晩は、お見事綺麗なピンクですね。自分で丸くカットですか~?
立派私にはできません、勇気がいるでしょう
お見事で~~す。
投稿: ハルリン | 2019年4月12日 (金) 18時43分
ハルリンさん、おはようございます。
形が崩れているのを直したのです。
じいさんが、なかなか剪定しないので無断で私がやっちゃいましたが、案外面白い作業です。
投稿: ウッシー | 2019年4月14日 (日) 07時04分
きれいに咲いてよかったですね。
もう手放してしまった実家には同じさつきがありました。母が花が好きでたくさんの植木がありました。それらの世話をするのは父でした。母が先に亡くなり、父がひとり残って植木を手入れしていたのでした。
そのことを痛切に感じたのは父が入院してから。庭がこんなに人の手を必要とするのか?!と。離れた家から仕事の合間をぬっての庭の手入れは、すぐに無理と知りました。
父の生きているうちに家を手放しました。家そのものもですが、植木や毎年、健気に咲く花々を思うとつらかったですが仕方ありません。
ウッシーさんのを読んでいるとかつての母の庭を思い出します。住んでいることはあって当たり前と思っていた花や木。失ってみると、とても大事だったとわかります。季節を教えてくれました。…もっとも私は忙しく過ごしていて、それらを愛でる余裕もなかったですけれど。
ウッシーさん、大変なことはわかっていますが、花と暮らす日々を大切になさってください。では、長文失礼いたしました。
投稿: sakurana | 2019年4月17日 (水) 15時09分
sakurana さん、おはようございます。
ご実家への思い、ご両親様への思いが、私の胸に響きます。
この家も、庭の木々、花々も、若い者たちは関心がないと思います。
けれども、いつの日か芝桜咲く春の庭を思い出すこともあるでしょう。
この町も、空き家が多くなりました。
将来のことを考えると寂しくなりますが、今はただ、自分のできる限りのことをして行きたいと思います。
芝桜は終ろうとしていますが、アッツ桜が頭を出して来ました。
またしばらく楽しむことができます。
休み休みですが、家事をして、庭の花々を眺めて暮らしています。
コメントありがとうございました。<(_ _)>
投稿: ウッシー | 2019年4月18日 (木) 09時21分