「入院、手術から、1ヶ月と5日たったんだのう、早いのう…」
今朝、おじいさんがしみじみと言いました。
「そうねえ」
たしかに日の過ぎるのは早いです。
私は退院の前日にもらった「退院療養計画書」にあらためて目を通しました。
退院後の療養上の留意点が、いくつか記されています。
◎食事 刺激物は控えてください
◎入浴 石鹸・シャワーで患部を洗わないで下さい
◎運動 可能です
◎学校 仕事 可能です
◎その他 自転車は許可が下りるまで乗らないで下さい
先日、自転車に50メートルくらい乗ってみました。
乗る前はちょっと不安でしたが、大丈夫でした。
けれども、これは無許可の試し乗りです。
正式の許可が下りるまで乗らないようにします。
いっしょに入院生活を送ったA夫人は、「もう一生乗らない」と言っていました。
私は自転車無しでは暮らせませんから、気を付けて乗りたいです。
次の通院は来週です。
「もう来なくてよろしい」と言ってもらえるでしょうか。
私は忘れず聞きたいです。
「自転車に乗ってもいいでしょうか?」
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ヒマだから、アクリルタワシも編めるだろうと、毛糸を持って入院した。
ところが編もうとしたら、編み方の本を忘れて来たのに気づいた。
仕方がないので、ただの長方形のタワシを編むことにした。
ちょうど家から電話があったので「タワシの編み方の本がほしい」と伝えた。
家では大騒ぎして本棚を探しているようだった。
「あ、もういいいです。本いらないです。毛糸がなくなったから」と、私は言った。
毛糸はまだ残っていたがが、ただの長方形で充分だと思ったのだった。
「あれが見つからない」
「あれは、どこにあるのか?」
という電話がたびたびかかってきた。
私が書いておいた下の孫の学校の三者面談の申し込み書がない、と言ってきたことがあった。
「予備にコピーしておいたんだが、原本がないんだ」と言う。
「じゃ、プリンターに置き忘れてるんでしょう」と私は言った。
「あ、あった!」
私が病室で、ヒマなタワシ屋をしている頃、家はてんやわんやだったようだ。
ヒマといっても、単にヒマだったのではなく、我慢できるほどの痛みがずっとあったので、それを忘れたくて、タワシ屋をしていたのだった。
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入院前は忙しかった。
いろいろしておかなければならなかった。
病院に持っていくものを揃えるのも時間がかかった。
必需品以外の物も準備した。
本、布と裁縫道具を少し、毛糸、編み針など。
入院は最長三週間と言われていたので、何もせずにいたらストレスで別の病気にかかるかもと恐れたのだった。
家でしていた刺子の続きを刺した。
針は一本しか持って行かなかった。
それでも、見つかったら「針には気を付けて下さいね」と言われそうで、看護師さんの回ってこない時間に刺していた。
肩が凝らないように少し刺しては止め、また続けた。
目がしょぼしょぼしてくると、やめて寝転がって天井を見上げた。
この刺し子は手提げに作れば良いだろうか。
思い出に残る刺し子となる。
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昨夜は、久しぶりに暑さのために目が覚めました。
家中の窓を網戸だけにしていたのに、ひどい暑さでした。
エアコンをつけて寝るのは、冷え過ぎないかと不安なのです。
髪を短くしなければ、と思ったのでした。
まだ身体がなまったままなので、もとに戻ったら美容院に行きたいと思います。
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病院での毎日は、退屈なものですね。
簡単な編み物、刺子、読書、クロスワードパズル、ペン習字などをしましたが、やはり気ままに日記を書くのが一番の退屈しのぎになりました。
以下はある日の日記です。
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私の病室は3Fの東端にある。
窓の真下は病院の駐車場。
ここには8台しか停められない。
細長いペースに斜めにラインが引かれていて、入れにくい。
手術についての説明を、主人とふたりで聞きに来た時、はじめてこの駐車場に入った。
運転はベテランの主人、何度きりかえしをしたことだろう。
「大丈夫なの?帰る時、出られるのォ?」
と、私は心配した。
外来患者や見舞い客は、苦労してこの駐車場に車を入れる。
丈の短い軽自動車がいちばん楽そう。
ここは100年続く医院で、外来棟は立派な純日本家屋、門を入ると植木が繁り石灯籠もある。
ある日、この石灯籠に車のお尻をこつんと当てた人がいた。
はっとしたが、石灯籠はぐらりと揺れただけで異常はなかった。
車はどうだったのだろう、ぴかぴかの黒い大きな車だった。
とても、要領よく出入りする人がいると、ほう!と感心してしまう。
入るのをあきらめて去って行き、また来てはあきらめ、ついに来なかった車もある。
息子の車は大き過ぎるから駄目、姉さんは軽だが車では来ないでねと言ってある。
入るも出るも地獄の駐車場とは、言い過ぎであろうけど。
主人はストレスのたまる駐車場、と言っている。
私は見ていて飽きが来ない。
ここの駐車場を見下ろすのが、今の私のいちばんの楽しみである。
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私と同じ日に手術を受けたのは、中年女性でした。
手術前に話しているうちに、その方は私のもと親友の娘さんだとわかりました。
もと親友は、認知症になってしまって、お付き合いが途絶えていました。
それでも、毎日のように気になっていました。
私はさびしくて仕方がなかったのです。
5歳年上で、「お姉さん」のように慕っていた人だったからです。
その人に誘ってもらったお陰で、私は少しは旅行にも行くことが出来ました。
つれあいに気兼ねして、三度に一度くらいしかご一緒できなかったですけれど。
手術の翌日、もと親友は、ご主人と娘さんの三人で私の病室に来てくれました。
昔のことはわりと覚えているということで、私は懐かしさで抱きつきそうになりました。
髪も染めるのをやめ、私と同じ白さでした。
以前は、ご主人との仲がうまく行かず、悩みの長電話を毎日のように受けていました。
心療内科に通った時期もあった人なのです。
ご主人もすっかり年をとられ、灰汁の抜けたおじいちゃん顔になっていました。
嫁いで行った娘さんが夫婦で同居してくれることになり、穏やかに暮らしているのでした。
お母さんをショートステイに預けて手術を受けた娘さんは、術後六日めに退院して行きました。
その後は毎日通院しているようでしたが、若いから、治りも早いと思います。 思いもかけない再会でした。
神様のお導きだったと感謝しています。
親友は、五分前のことも忘てしまうということでしたが、私との再会を覚えていてくれるでしょうか。
忘れてしまってもいいのです。
この私が、しっかりと、いつまでも覚えていますから。
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お蔭さまで昨日のお昼どきに家に帰って来ました。
10時頃、退院前の診察を受け、11時半過ぎに退院しました。
つれあいが車で迎えに来てくれましたが、家に直行せずスーパーで買い物をしてから帰宅しました。
病院から台所へ、が私の生きる道ですわ。
スーパーで買ってきた角切り豚肉の煮たの、レタス、トマト、煮豆、朝のお味噌汁で、久しぶりに二人だけのお昼ご飯を食べました。
身体が重くて、てきぱきと動けません。
先週の外泊の時は張り切ってあれもこれもとやりすぎて、病院に戻ってからぐったりしていました。
今回、晴れて退院しましたが、先週のような元気はありません。
朝夕は散歩にも出かけていましたのに、想像以上に体がなまってしまっていました。
病院から持ち帰った大小五個のバッグの中身が、なかなか整理ができません。
昨日から今日にかけて、やっと四個分を整理し終えました。
つまり後一個、そのままになっているわけで。
看護婦さんたちから「無理しないでね」と言われてきましたが、無理しようにもできません。
季節はすっかり暑くなってしまい、少し動くだけで汗が出てきま。
あと一個のバッグを、夕刻までには、のろのろと片つけたいと思います。(笑)
昨夜、姉さん孫が、私の留守中の家族のことを怒っていました。
「私も半人前だけど、役立たずばかりで…」
かりん孫の足はよくなり、駅まで歩いて行けるようになりました。
明日は整形外科に行く日だそうで、松葉づえも返却できます。
「どっちが先に元気になるかな?」とあの子は言っていましたが、同時と言えるかな?私の負けかな?
心配して下さった方々には、こころからお礼を申し上げます。
まことにありがとうございました。
暑さに気をつけながら、少しずつ元気になりたいと思います。
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「今日のお昼はどうするの?」
と、病室から家に電話。
お昼は、かりんとおじいちゃんの二人だけ。
「かりんは、ハヤシライス、じいさんはカレー」
姉さんが買ってくれたレトルトだ。
「じゃ、明日は?」
「その反対、じいさんがハヤシ、かりんがカレーだ」
なさけないなあ。
何か作れるだろうに。
かりんは期末テスト間近だけど、炒め物くらいは出来るだろ。
けれども、私は言わない。
病院の食堂で三食よばれている者が、指図することはない。
食べることは大切、だから食べ物作りはとても大切なこと。
自分の食いもんくらいは、自分で作らなきゃ。
おしっこするのと同じように大切なことなのよ。
コメント欄はお休みします。
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7月1日の朝に書いたものです。
入院先から一時外泊を許されて帰宅した6月30日の夕方、弟から電話がありました。
父方の従弟の死去の知らせでした。
「ああ、間に合わなかった!」と、思いました。
長くないと知らされていたので、私の退院が間に合うと良いけどと、気になっていました。
「実は…」と、弟に手術、一時帰宅のことを打ち明けました。
親戚にも、内緒で入院したのです。
知らせたのは遠方の幼なじみだけでした。
お通夜、告別式は、おじいちゃんに行ってもらうことにしました。
弟には、母のことをたずねました。
「ばあさんは、元気、元気!」と言われ、安心しました。
お医者に行くときから、従弟と母のことが気がかりだったのです。
「みんなに、ゆうておくわ、入院中やと」と、弟は笑います。
これで、親戚中に知れ渡ります。
よりにもよって、こういう時にねえ。
仕方がありません、私の不徳の致すところですから。 もうひとつ、ドジなことが起きていました。
私の手術のあくる日、かりんが学校で、校舎の階段を降りる時、足をくじき靭帯を損傷してしまったのでした。
近くの整形外科で松葉づえを貸与されたそうです。
土、日は休みでしたから,月曜には杖は不要になったのですが、足が腫れて革靴が履かれず、毎日、おじいちゃんに学校まで送迎してもらうことになったのです。
おじいちゃんの負担が増えました。
私は、鎮痛剤を飲みながら病院で洗濯をし、コンビニで日用品を買って、自立の入院生活をする決心をしたのでした。
コメント欄は閉じています。
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6月最後の聖日の夜です。
久しぶりに生で記事を書きます。
実は去る20日、とある病院に入院して、手術を受けました。
幸い経過もよく、本日午後外泊を許され帰宅、明日のお昼過ぎに病院に戻ります。
生命にかかわる病気ではないのですが、20歳代の終わりからの持病を根治したく思い切って手術を受けました。
若かった頃は家事育児で家を空けられず、ぐずぐずしているうち年月が過ぎ、やがて孫育てと言う役目が天から降ってまいりました。
以来15年、持病はますます進行し、もはや限界、と1歩踏み出した次第です。
今日、病院を出る前に、家に帰ってするべきことを箇条書きにしました。
1、洗濯をする。
2、冷蔵庫の中身を調べる。
3、事務的なこと。
4、買い物に行く。
5、煮物をする。
6、残る入院生活に必要なものをまとめる。
7、今日の夕飯を作る。
8、食器を洗い片つける。
9、ゆっくりお風呂に入る。
と、云うようなわけで、ばたばたと時間を過ごしました。
外泊許可願いの理由としては「家族の心のケア」などと、かっこいいことを書きましたが、食べさせ屋ですからね、台所に立つのが主な任務なのです。
20日の入院以降は、日時指定で書きためた記事を、とびとびに更新して来ました。
今後も退院の日まで、またとびとびの更新になります。
久々のパソコンで、汗がこめかみから流れ落ちてきました。
汗をかくのも久しぶりです。
明日から、またしばらく病院で頑張ってまいります。
何を頑張るのでしょうね。(笑)
退屈とか、少しの痛みとか、不自由との戦いですね。
それでは、今からお風呂に入ってまいります。(^^)/~~~
尚、コメント欄は、明日7月1日の午前10時まで、開けさせて頂きます。
お返事が間に合わないこともあると思いますが、よろしかったらお書き込み下さい。
私は携帯ではインターネットができませんので、どうかお許しになって下さい。
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