カテゴリー「母を思う」の30件の記事

2016年11月14日 (月)

母を思って… このカーデ、このボタン

 夏のカーデガンをまだしまってありませんでした。
30年くらい前に、母からもらったカーデガンです。




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 「型が若過ぎて、私には合わへんから」と、くれたのです。
私は一目見て(おばん臭っ!)と思いましたが、素直にもらっておきました。

 実家のすぐ近くに洋品店があって、母たちはいつもそのお店で買っていたようです。
「あの店は値段が高いけど、物が良いから長持ちするんや」と、母は言っていました。
もらってしばらくは着る気になれず、引き出しにしまい込んでいました。
そのうちに私も立派なおばんになって来て、着て見ようかと思いました。
「型が若過ぎる」と母が言ったのは、ふっくらと袖山にタックが寄せられているせいもあったのでしょう。
カーデを買ったころの母は、60歳代の後半だったでしょうから。





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 私は袖山のタックは平気でしたが、肩パットははずしました。
打ち合わせのボタンをつけかえると感じが変わると思ったけれど、面倒なのでそのまま着ることにしたのです。

 その後およそ30年間、夏が来ると出して着ました。
母が言った通り、物が良くて、ほつれもせず、擦り切れることもありません。
ただ、今年ふと思ったのは「ボタン、付け替えてみるか」でした。



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 けれども、やっぱりやめました。
ずっとこのまま、母にもらったままで着続けようと思います。
ボタンは、どれもグラグラしているので、しっかりと付け直しました。
こうして、来年の夏まで大切にしまっておきます。

 一昨年の春、母は99歳で大往生しました。
あと10日余りたつと、母の誕生日です。
先日のクラス会のお土産の温泉せんべいを、実家の仏壇に供えたいと、その日を待っています。

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2015年9月25日 (金)

ありがとう

彼岸花は私の誕生花ではありませんが、好きな花です。



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私の実家は兼業農家で、年に2回は蚕を飼っていました。
「晩秋蚕」という秋の蚕があと少しで繭を作るという忙しい最中に、私は生まれたのだそうです。
普通の赤ちゃんのように頭から生まれてこない「逆子」だったので、母もお産婆さんも大変だっと思います。


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母には、たびたびと言われたものです。
「この子は逆子で生まれて来たから、行儀が悪いのさ」
そんなの関係ないや、と思ったけど黙って聞いておきました。

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お母さん、お元気ですか。
そちらでも、彼岸花が咲いていますか?
「アホ、何を言うとる。ここは地獄ではないよ。地獄花が咲くもんか!」
あ、ごめん、彼岸花は地獄花とも呼ばれるのですね。

逆子で生まれて来て迷惑をかけ、身体が弱くて世話ばかりかけ、60歳で息子の嫁を亡くして孫たちを育てることになり、またまた心配をかけました。
あなたは当時をふり返って言いましたね。
「私の一生で一番悲しい出来事やった」
あれから17年半、あの子らも大きくなってくれました。
生まれる時から親不孝してきた私も、78歳になりました。
今では私が、自分の子どもや孫たちのことをあれこれ心配する番です。

お母さん、ほんとうにいろいろありがとう。
お父さんによろしく伝えて下さい。
下界の彼岸花に見惚れて、足を滑らせて落下しないで下さいね。

(母は去年の春、99歳で大往生しました。)


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大雨注意報が出ています。
雨に打たれる彼岸花を思い浮かべています。

☆ 昨夜のおかず
麻婆豆腐、大根と蓮根天の煮物、大根サラダ、五目ひじき、たらこ人参、

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2015年6月25日 (木)

一年たって

今日は去年の今ごろ書いた記事をひっぱり出してきました。
自分の書いた記事を読み返し、こんなことがあった、こんなことを思ってたんだと、しんみりしたり面白がったりしています。



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珍百景、登録ならず・・・(^_^;)


「あああ、ばあちゃん死んじゃった!」 と、時々私は言ってしまいます。
そして、姉さん孫に笑われます。
「ばあちゃん、何をいまさら…」
私の言う「ばあちゃん」は、去る5月5日にこの世を去った私の母のこと。
姉さんが言う「ばあちゃん」は、この私のことです。



       ****** 中略 ******


母はついに私の思い出の中の人になってしまいました。
けれどもさびしがるのは気が引けます。(-.-)
私の姉さん孫は、5年11か月、その妹の高2孫は僅か2週間しか母親と暮らしていません。
およそ77年間も母が健在だった私が、母の死を寂しがるのは贅沢なことなのに違いありません。

話題を変えますが、私の祖母と母の下の名前は逆さまです。(@_@)
祖母の名を「きみ」とするなら、母は「みき」なのです。
私は子供の頃、人からよく言われました。
「あんたとこの、お祖母ちゃんとお母ちゃん、名前が反対なんやて?面白いなあ」
そして大人の人には言われました。
「名前は逆さまやけど、ほんとの親子みたいに仲がええなあ」
二人は我慢強かったし、本当の意味で負けず嫌いだったようで、みっともない喧嘩はしたくなかったのでしょう。



おきみさんちに 嫁が来た♪
嫁の名前は おみきさん♪



面白いではないですか。
珍百景に登録なるか?
残念!登録ならず…でしょうね。sweat01



勝手に面白がって寂しさを紛らせています。

(2014年6月24日の記事を編集しました)


   
゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

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2014年9月11日 (木)

ビーズつなぎながら

重たすぎたビーズのネックレスを作り変えながら、母のことを思い出していました。
あのころ母は何歳くらいだったのでしょう。
父はもう亡くなった後だったから、母は70歳は過ぎていたと思います。
何かの集まりに行くために、母は珍しく化粧をしていました。
いかにも塗りました、という感じの不自然な顔になっていました。
「ちょっと濃すぎるよ」
私は言ってしまいました。
そのあと母が化粧を落として出かけたのかどうかは、覚えていません。



母は農業をしていたにもかかわらず、色白でシミもないきれいな肌をしていました。
慣れない化粧などする必要もないくらいだったのでした。
それでも母は化粧をして見たかったのでしょう。
「濃すぎるよ」は、心無い言葉だったと、後になって思うようになりました。
いい年をして化粧などして、という意地悪さが潜んでいたのです。
「何も塗らない方がきれいやわ」と、言えば良かったのでした。



私はあのころの母よりも年をとったのに、当然のように化粧をします。
母は持っていなかった口紅もつけています。
そして老人会では、みんなでネックレスを作ったりもするのです。



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母を思いながら、軽量ネックレスに作り変えました。



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母の納棺の時、納棺師さんは念入りに化粧を施してくれました。
「きれいになって!」と、皆が口々に褒めましたが、母らしさは消えていました。
母はやはり素顔のままがきれいな人だったのだと、今でも私は思っています。


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  帽子や多帽

2014年7月 8日 (火)

さびしくなる一方ですが

先月の21日から母のお墓参りを怠っています。
母のことを思わない日はありませんが、お墓に足が向きません。
もういいんだ、母のことは何も心配しなくていい、と心は落ち着いています。


49日に実家の仏壇にお参りした時、弟嫁が「何でも持って行って下さい」と、母の洋服ダンスの扉を開けました。
母はやせ型だったから、私に着られるものはなさそうでした。
ただ、ふと目に留まった紺系のシースルーのカーデガンだけはもらってもいいかなと思いましたが、ちょうどお坊様がお経を上げに来て下さったので、そのままになっていました。


P1130768_480x640しばらく日がたってから、父方の叔母が
「あんた、祖母ちゃんのもの何もいらんの?私はいろいろもらって来たよ」と電話をかけてきました。
「紺色のカーデガンだけはほしかったけど、あんたもろて来た?」と私が言うと
「鉄紺のあれ?私が祖母ちゃんにプレゼントしたんやわ。もろてきたよ」と叔母は言いました。
贈りり主の所に戻ったのなら諦めるしかありません。
叔母は他に黒のレースのカーデももらったから、そちらを私に譲ると言ってくれました。


叔母の家にもらいに行く約束をしてから、また日が経ってしまいました。
叔母が電話をくれてまもなく、母方の叔母が亡くなったと、弟が知らせてくれました。
94歳が95歳になっていたと思います。
5月5日には、その下の妹といっしょに、母に別れを告げに来てくれたのでしたが、突然の訃報に驚きました。
母の5人姉弟のうち4人があの世に行ってしまったのでした。


父方の叔母も知らせは受けたと思います。
90歳の叔母は「いよいよ順番が近づいた」などと言い出しそうで、私は母の形見の黒レースのカーデガンをもらいに行くのをためらっているのです。
母の妹の葬儀は家族だけで行い、香典、お供えなど一切辞退とのことでした。
さびしくなる一方ですが、この世を去った人々を偲びながら、静かに過ごしています。


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  帽子や多帽

2014年6月27日 (金)

今日は雨、雨もよいけど、静かに降ってほしい

また母のことになりますが、弟は母の葬儀の始まる直前に、担当者から尋ねられたそうです。
「おばあちゃんの趣味は?」と。
弟は、弟嫁と私に「何やったかな?」と聞いてきました。
趣味らしい趣味はない人でした。
縫い物はしたけど、必要に迫られてしていたし、庭に花は植えていたけど、あれは畑仕事の延長であったように思われます。
のんびり旅行できる年齢に達した頃、父が倒れて足掛け10年看病しなければなりませんでした。


お寺の念仏講に入っていましたが、熱中するほどではなかったように見えました。
晩年は、「お迎えがなかなか来ないから、仏さんも(仏壇のこと)拝まへん」と仏間のベッドの上で言って笑っていました。
電話機も近くにはなく、視力が弱って好きだった相撲のテレビ中継も見なくなっていました。
母は何を楽しみに生きていたのでしょう。
病院でも、施設でも、母の枕もとには何もなかったのではと、私は思います。
母の晩年を思う時、私は当然のように自分のことを考えてしまいます。
最後まで大切に持っていたいのは、いったい何なのか。
自分の心の慰めであるとともに、まわりの人にもそれとわかるものを持っていたいと思うようになりました。


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この間、古本を買いました。
キリスト教名画の楽しみ方「イエスの生涯」です。
本当はもう本は増やしたくないのですが、次はこのシリーズの「受胎告知」がほしくなりました。
たとえ視力が弱って字は読めなくなっても、絵だけはぼんやりとでも見えると思います。
買ってよかったと思っています。


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もんぺの型紙の補正について

前記事のコメントで質問して下さいましたので、簡単に写真に撮りました。
型紙に切り込みを入れて寸法を大きくしたらいいと思います。
写真の型紙は歪んでいますがまっすぐに並べて頂きます。


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幅広げはだいたい幅の中央でします。(布目を立てること)
丈は股下寸法の真ん中あたりでします。
ヘタな説明で申し訳ありません。


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  帽子や多帽

2014年6月24日 (火)

珍百景 登録ならず(^_^;)

「あああ、ばあちゃん死んじゃった!」
と、時々私は言ってしまいます。
そして、姉さん孫に笑われます。
「ばあちゃん、何をいまさら…」
私の言う「ばあちゃん」は、去る5月5日にこの世を去った私の母のこと。
姉さんが言う「ばあちゃん」はこの私のことです。



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母の葬儀に飾られた写真を、弟に頼んで焼き増ししてもらいました。
私の分は3枚ですが、弟の娘、私の姪たちや、母の妹たちの分も焼き増ししたのでした。
やさしい、良い顔に撮れています。
小さな額に入れて、東京にいる私の娘にも送りたいと思います。

母はついに私の思い出の中の人になってしまいました。
けれどもさびしがるのは気が引けます。
私の姉さん孫は、5年11か月、その妹の高2孫は僅か2週間しか母親と暮らしていません。
およそ77年間も母が健在だった私が、母の死を寂しがるのは贅沢なことなのに違いありません。



話題を変えますが、私の祖母と母の下の名前は逆さまです。
たとえばですが、祖母の名を「きみ」とするなら、母は「みき」なのです。
私は子供の頃、人からよく言われました。
「あんたとこの、お祖母ちゃんとお母ちゃん、名前が反対なんやて?面白いなあ」
そして大人の人には言われました。
「仲のええ、嫁姑やなあ」
二人は我慢強かったし、本当の意味で負けず嫌いだったから、みっともない喧嘩などしたくなかったのでしょう。


おきみさんちに 嫁が来た。
嫁の名前は おみきさん。



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  帽子や多帽

2014年6月 3日 (火)

我慢の人

母が亡くなってからもうすぐ一か月になります。
郵便局に行った時など、帰りに実家に寄って見ようかなと思っては、ああ、もう母はあの家にはいないのだと、気づかされます。


P1130644_640x480葬儀会館での母の葬儀は、私たちから見れば最後の旧式な(派手な)葬儀ではなかったかと思います。
喪主の弟も「自分は葬式はもっとひっそりしたのが理想や」と終ってから言っておりました。
開式に先立って、母の生前のプロフィールが紹介されましたが、少し褒められ過ぎでした。
この点についても弟は「歯の浮くようなことは言わんでくれと頼んであったのに」と苦笑していました。


真面目で、誰からも好かれ、温厚で…。
この温厚と言うのが、弟と私には引っかかりました。
母はたしかにまじめで控えめな人で、人の悪口など言うのも聞くのも嫌いでしたが、控えめな中に烈しいものを秘めていたと思います。
私は幾度も母と口げんかをしました。
電話で喧嘩して、ガチャン!と切ってしまったことも一度や二度ではありませんでした。
母はもう自分では歩けなくなってからも、気に入らないことがあると口をきかなかったと、弟は笑いながら言っていました。
他人には表せない心の内を、私たち子どもには見せていたのだと思います。
しかし母の一生を短い言葉で言い表すならば「我慢の人」だったと言えると思います。


母の戒名には「大姉」がついています。
もともとは「禅定尼」だったのですが、三十年前に亡くなった父が「居士」をもらったために、釣り合いをとるために今回一部書き換えられたのだそうです。
パソコンの文書で言うならば「編集、上書き」されたわけなのでしょうね。
母の舅、姑である私の祖父母の戒名は「禅定門、禅定尼」ですから、嫁である母としては「私は元のままで良かった」と思っているような気がします。


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  帽子や多帽

2014年5月18日 (日)

2週間

P1130638_480x640 母が亡くなって明日で2週間です。
葬儀が終ってから、1日おきにお墓に参っています。
実家は浄土宗で、49日の間は毎日お墓に参るのが習わしです。
私は仏教徒ではありませんが、奇数日の墓参を担当しています。
昨日は朝の5時半に一人で参って来ました。
いつもはおじいさんも一緒ですが、昨日は午後から高校のPTA総会と講演会があったので、おじいさんが洗濯をしてくれている早朝に、私ひとりで参ってきたのでした。


今日はまもなく教会の礼拝に行きます。
そして夕方の4時には実家にお坊様が来て下さるので、おじいさんと二人で行きたいと思っています。
母のふた七日のお経を上げに来て下さることを、弟が知らせて来ましたので。


今日も良いお天気ですが、朝晩と日中の気温差が大きいので戸惑っています。
みなさま、どうぞお気をつけになってください。



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2014年5月11日 (日)

母のいない母の日に

P1130644_640x480 今日は礼拝を休んでお墓参りをしました。
10時半、歩いて5分の私の実家のお墓に参り、家に帰ってすぐ孫たちの亡き母親が眠る我が家のお墓へ、おじいちゃんの車で行って来ました。
どちらのお墓にも、部活が休みの高2孫を連れて行き、孫は顔も覚えていない母親のお墓の花入れに、白いカーネーションを挿して来たのでした。


実家のお墓には、私の母が埋葬されたばかりです。
5月5日のお昼少し前に、母は99歳の生涯を終えました。
介護施設にお世話になっていましたが、職員さんの巡回のわずかな合い間に、母は亡くなったのでした。
眠るように安らかに逝ったのだと思います。
弟は今月いっぱいくらいはいてくれるだろうと予想していましたが、突然にその日はやってきたのでした。
5日は近親者だけのお通夜、6日は本通夜、7日が火葬と告別式でした。


実家は仏教なので、49日まで毎日お墓に参ります。
私の家の方がお墓に近いので、奇数日のお参りは私が担当すると申し出ました。
母が生きていた時、弟は毎日昼食と夕食の介助のために施設に通っていましたが、私は何も役に立てなかったので、せめてお墓参りだけでもしたいのです。


母は「大往生」を遂げたので、誰も泣きませんでした。
「お迎えが来てほしい」と絶えず言っていましたから、私たちはむしろほっとした気持ちなのです。
悲しみはもっと後になってからやって来るのでしょうか。
ただ、おじいちゃんも私もとても疲れています。
しばらくは、静かにゆっくりと過ごしたいと思っています。


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