カテゴリー「思い出のネコたち」の3件の記事

2017年4月25日 (火)

えッ、ほんと?近所にいいひとがいたって!(続々ジローというネコの物語

 家でジローという猫を飼い始めた1979年ごろ、
近所にネコをたくさん飼っているお宅がありました。
仮に川田さんとでもしておきましょう。
川田さんと私は、猫友達でした。
二人は、会えば猫の話になるんです。

 1981年の3月、私はジローが死んだことを川田さんに報告しました。
すると、川田さんから思いがけないことを聞かされます。
「お宅の猫と仲良かった家の猫、お腹が大きいんです」
びっくりじゃありませんか。
わずか2年足らずしか生きられなかったジローだったけど、こどもを残して行ったのでしょうか。
ジローを亡くした寂しい心に、ポッと灯りが点ったような気がしました。

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 その年の6月、我が家に可愛い猫が来ます。
「ろろ」と名付けました。

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ジローと仲が良かった川田さんの三毛猫が生んだ子猫でしたが、
ジローのこどもだったかどうかは、わかりません。
虎柄の毛の色も、目の色も違っていました。↓

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ろろは、活発な猫でした。
木登りが得意でした。
てっぺん近くまで登って降りられず、困ったこともありましたけど。

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丈夫で明るい性格で、ジローが最後まで仲良くなれなかった犬の金太郎にも、接近して行きました。

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私たちは、ろろが、ジローのこどもでなかったとしても、別にかまわなかったのでした。
ジローの恋人だったらしい川田さんの三毛猫の産んだ仔だったので、もらいました。

ろろのお母さんは美猫でした。
ジローは幸せだったんだろうなあ。(このバカ飼い主めが!)

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2017年4月24日 (月)

輝け!喧嘩大将 (ジローというネコの話の続き)

 暇を見つけては、自分の持ち物の整理をしていますが、むかし書いた「月刊 わたし」という手書きの個人新聞をつい読んでしまいます。

 1980年9月1日号に、ネコのジローの記事がありました。
以下は「月刊 わたし」からの引用です。

                 

  輝け!喧嘩大将

(ジローは)おできも春には全快、5キロ近い大猫に成長しました。
2月に交通事故に遭った時、診てもらった獣医さんから、
「大きくなって、喧嘩大将になりますよ」と、言われました。
その通りになって、目下喧嘩の修行中です。

猫顔役が2匹、入れ代わり立ち代わりジローをとっちめに来ます。
以前はすぐに悲鳴を上げて庭の松の木にかけ登っていましたが、この頃は組み伏せられ、噛みつかれても逃げないで頑張っています。

ジローの「大将の素質」を、猫顔役たちが妬んで、やっつけるのでしょうか?
本物の大将になれるように、鍛えているのでしょうか?
猫世界のことはわかるはずもありません。

しかし、最近のジローの闘志は、競争心に欠けるわが家の構成員の中では、ギンギンに輝いて見えるのです。

引用終り


                  

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 不運で、病弱で短命だったという記憶しか残っていなかったジローというネコ、実は勇気ある猫だったのでした。
ジローは、太く短く生きたのですね。

                   

 それにしても 「競争心に欠けるわが家の構成員」 とはねえ。
その通りだったかも知れず、今でも同じことが言えるかもよ・・・(;´д`)トホホ


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2017年4月20日 (木)

ジローというネコの物語

 捨てられていた子猫を飼う

 1979年の夏、隣の空き地の草むらで鳴いていた子猫を家に連れてきてしまいました。
ジローと名付けて、表庭の片隅に段ボール箱をおいて世話することになります。
後ろ脚の付け根にできものがあって、膿が出るので、家には入れなかったのです。
おできは、治ってはまた腫れて、なかなか完治しませんでした。
それでも、元気にはしゃぎまわり、我が家の猫になって行きます。


中学生だった長女のひざに抱かれるジローです

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おできが治り、すっかり大きくなったジローをつかんでいるのは、43歳だったわたくし。


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こちらは↓首を絞めてるみたいに見えますけど・・・


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 ジロー車にはねられる

 1980年2月7日、朝の9時ごろ外に出て行ったジローは、夜の8過ぎ、のそりと帰宅。
その夜は何も食べず、毛布の上で寝ていました。
あくる日なっても水も飲まないので、獣医さんに診てもらいました。
「このネコ、車にはねられたですよ。ちゃんと歩いて帰りましたか」
外傷はないけど内出血しているとのこと、頭を打ったらしいのでした。


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   別れは1年後に

 それから1年たった1981年2月27日の夜、ジローは死にました。
三日ばかり食欲がなく、息も苦しそうだったので、いつもの獣医さんに診てもらったところ、「腎臓が腫れてるね。体温も低いし今夜が峠ですよ」と言われました。
注射を3本も打たれたのに、ジローは暴れる力もなくおとなしくしていました。
手当ての甲斐もなく、帰宅して2時間後に息を引き取りました。

 1年前、車にはねられた時の後遺症なのか普段から呼吸が荒かったのでしたが、凍えるような寒い日も、元気に外に出かけていました。
ほんとうに、あっけない最後でした。

 あくる日、裏庭のツツジの木の傍らにジローのなきがらを埋めます。
ジローがいたのは、わずか1年半でしたが、私たち家族にとっては初めての家猫でした。

    以前からいた犬とは不仲だった

 ところで、ジローには天敵がいました。
飼い犬の「金太郎」です。
金太郎は、名前は立派でしたが、弱虫の馬鹿犬でした。
この子は、長女が小学校の帰りに拾って来たのです。



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 金太郎は、長女の中学、高校生活を見守るように生きて、高校卒業を間近にした1985年の2月の終わりに死にました。
以後、犬は飼っていません。
生涯に1犬の金太郎です。

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